「もっとオープンな形で性の問題を」山口百恵(当時21歳)は鋭い発言…“女子中学生の妊娠”に驚愕、『金八先生』第1作が広げた波紋
金曜夜8時台のテコ入れを図るべく企画された
そもそも『金八先生』は、TBSが当時、他局との視聴率争いで苦戦していた金曜夜8時台(すなわち「金八」)のテコ入れを図るべく、プロデューサーの柳井満が厳命されて企画したものだった。そのころ、同時間帯では日本テレビの刑事ドラマ『太陽にほえろ!』が圧倒的な人気を集め、ほかにもテレビ朝日のプロレス中継など、安定した視聴率を持つ番組が並んでいた。 柳井はドラマの始まる5ヵ月ほど前、熱海に住む脚本家の小山内美江子のもとを訪ね、この枠での新たな作品を依頼する。彼と小山内はそれまでに昼の帯ドラマ(ポーラテレビ小説)の『おゆき』(1977年)など3つの作品を手がけ、実績があった。柳井の上司で、TBSの制作局次長だった岩崎嘉一(脚本家の橋田壽賀子の夫)はそこから、どうしてもこのコンビでなければいけないと主張したという。
それが1979年の5月末から6月にかけてのことで、小山内はちょうどNHKの連続テレビ小説『マー姉ちゃん』の脚本の脱稿直前であった。いつもなら新しい作品に取りかかる場合、しっかり下調べなど準備をするのが常であったが、『マー姉ちゃん』を書き終えてから10月スタートのドラマに取りかかるとすると、9月中旬には制作に入らねばならず、その時間はほとんどなかった。 それならば手持ちの材料で……となり、小山内は一人息子(俳優・映画監督の利重剛)を育ててきた経験から、中学生についてならさほど準備をせずとも書けるのではないかと思い立つ。ここから柳井の助言もあり、中学を舞台にした学園ドラマの企画が固まる。
武田鉄矢が主人公に抜擢された理由
主人公の教師役には『マー姉ちゃん』の主演だった熊谷真実などの名前も挙がったようだが、小山内も柳井も武田鉄矢ということで意見が一致した。柳井のなかでは、ライバルであるNHKのテレビ小説のヒロインを起用することには抵抗があったらしい。小山内は教師役には男性がいいと考え、その少し前に、あるパーティーで見かけた武田のことを思い出した。 そのパーティー中、小山内は同じく脚本家の向田邦子と話していたところ、武田が向田へあいさつに来た。このとき、向田が「鉄矢さんは全身でお芝居をしているのを感じるわ」と言うと、彼は福岡の教育大学に在学中、聾学校へ教育実習に行ったときの体験を身振り手振りを交えて語り出し、それが小山内に強く印象に残ったという(『文藝春秋』1990年7月号)。
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