“素人集団”だったセブン-イレブン・ジャパンが成長し続けた理由とは?
■ 素人集団だったからうまくいった 鈴木 で、ライセンス料を支払って提携したら、分厚い経営マニュアル書が27冊あると。これを全部翻訳して読んだんですけど、どうってことないんですよ。要するに清掃の仕方とかレジの打ち方とか、店舗運営の入門書のような内容ばかりで、特別な経営ノウハウは何もない。さて、困ったと。皆の反対を押し切ってスタートした手前、もう引き返すわけにいきませんから、試行錯誤で仕組みづくりを始めたんですね。 当時私はヨーカ堂の人事部長をやっていて、一緒にコンビニ事業を立ち上げる社員を募(つの)ったのですが、1人も希望者がいないんです。しょうがないから新聞の求人広告を出した。そうしたら、自衛隊のパイロットだとか経営コンサルタントだとかパン屋の営業だとか、流通とは全く関係のない人たちが10人ばかり集まって、1973年セブン-イレブン・ジャパンが設立されたんです。 矢野 全員が流通に関しては素人だったのですね。 鈴木 だけど、いま考えてみると、皆が流通のことを何も知らなかったからよかったんです。知っていたら、日本の流通はああだこうだと言ったと思うんですけど、私自身も営業の経験がなく、もともとは取次(とりつぎ)大手の東京出版販売(現・トーハン)にいましたので、既存の流通の常識や商習慣に囚(とら)われず挑戦することができました。 トーハン:出版社と書店、読者を結ぶ出版流通ネットワークを構築する取次会社。 一例を挙げると、当時はどの商品も問屋(とんや)から大ロットで仕入れ、在庫がなくならないと次の仕入れができなかったんです。この問題を解決すべく、皆で問屋を1軒ずつ回って何度も粘り強く交渉し、小ロットの配送という、それまでの業界の常識とは相容(あいい)れない画期的な方法を実現しました。 また、当時はメーカーや問屋がそれぞれ独自に配送していたので、1日70台以上のトラックが納品に来ていたんです。これでは1日中対応に追われてしまう。そこで、担当メーカーが地域別に他社の製品を混載する共同配送というものも生み出しました。 矢野 初めてセブン-イレブンに行った時は、正直言ってこれは難しいだろうなと思いましたけど、どんどん進化されましたよね。 鈴木 1974年に東京の豊洲にオープンした1号店は、当初利益が出なくて苦しみましたが、いま話したように当時の常識を1つひとつ覆(くつがえ)して改革していくことで、徐々に軌道に乗り、店舗を増やしていったんです。そうしたらあれだけ無理だと言われていた中内さんも堤さんも、コンビニをお始めになりましたからね。 鈴木敏文(すずき・としふみ) 1932年長野県生まれ。1956年中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(現・トーハン)に入社。1963年ヨーカ堂(現・イトーヨーカ堂)に転職。1973年セブンーイレブン・ジャパンを設立し、コンビニエンスストアを全国に広め、日本一の流通グループとして今日まで流通業界を牽引する。2003年イトーヨーカ堂及びセブンーイレブン・ジャパン会長兼CEO就任。同年、勲一等瑞宝章受章、中央大学名誉博士学位授与。2016年5月名誉顧問。 矢野博丈(やの・ひろたけ) 1943年天津生まれ。1966年中央大学理工学部卒業。学生結婚した妻の家業を継いだものの、3年足らずで倒産。その後、9回の転職を重ね、1972年雑貨の移動販売を行う矢野商店を夫婦で創業。1977年大創産業設立。1987年「100円SHOPダイソー」1号店が誕生する。1991年初の直営店を香川県高松市にオープン。1999年売上高1000億円を突破。2000年『企業家俱楽部』主催の『年間優秀企業家賞』を受賞。2018年売上高4548億円で業界シェア56%の業界トップ企業である。2018年3月同会長。2024年2月に死去。
藤尾 秀昭