『室井慎次』2部作が存在した意義 青島が主人公の『踊る大捜査線 N.E.W.』に期待するもの
『踊る大捜査線』シリーズの新作映画『踊る大捜査線 N.E.W.』が2026年に公開されることがついに発表された。もちろん主役は織田裕二。現在公開中の『室井慎次 生き続ける者』のポストクレジットシーンで12年ぶりに、おなじみのモッズコート姿の青島俊作として登場した彼が、ついに本格復帰を果たすというわけだ。 【写真】青島が主人公に! 『踊る大捜査線 N.E.W.』ビジュアル 公開までまだだいぶ時間があるが、『踊る』サポーターとしては楽しみで仕方がない。少なくとも、『室井慎次』2部作で味わった不完全燃焼を一刻も早く解消してほしいと願うばかりである。 この『室井慎次』2部作、前編の『室井慎次 敗れざる者』が公開された際に筆者は「後編を観るまでは、この前編の成否は保留にしておくべきであろう」と締めくくったのだが(『室井慎次 敗れざる者』が“『踊る』らしさ”を封印した意図とは? 2部作前編の役割を解説)、いざ後編を観終えてから改めて前編を振り返ってみると、「あれでよかった」というべきか、「あれのほうがよかった」という、そんなネガティブな答えにたどり着いてしまった。 『踊る』シリーズにおける最重要キャラクターの一人である室井慎次の“第二の人生”を描いた2部作。前編ではところどころに『踊る』キャラクターを登場させる同窓会を開き、過去につながる事件や、室井自身がその朧げな記憶をたどる様子が積み重ねられていき、警察官ではなく室井慎次という一人の人間として、故郷の秋田に根を張ろうともがく姿が描写された。同時に映画の主軸として、室井が一緒に暮らしている二人の里子の一人である、犯罪被害者遺族の少年の再生の物語が展開したのである。 となると、後編に期待していたことは非常にシンプル。後編へと持ち越された事件に室井が関与することで解決の道が開け、かつもう一人の里子である犯罪加害者家族の少年に正面からスポットライトが当てられること。しかもそこには、シリーズを通して“最悪の犯罪者”と呼ぶに足るだけの罪を犯した日向真奈美(小泉今日子)の娘・日向杏(福本莉子)もいる。かたや罪を犯した父親の記憶に苦しむ少年と、かたやカリスマ的犯罪者の母に洗脳された少女という対比が、間違いなく興味深く、現代的な『踊る』のストーリーに仕立て上げてくれるだろうと信じていた。 ところが実際に作品を観た人であれば、上記の要素がどのように片付けられていったかはご存じであろう。端的に言えば、“片付ける”ことにだけ特化してしまったというべきか、前編で散らかせるだけ散らかしたあらゆるドラマ性の片鱗を、一つずつ淡々と潰していくに留まり、なんともあっけなく無機質な、どうにも語り不足で中途半端な印象を植えつけたまま終盤へと運ばれる。そして、なかば強引なかたちをもって『踊る』シリーズとしてはあまり望ましくない結末にたどり着くことになったのである。 もっとも、この結末に関していえば、製作者チームの考えであったり、室井を演じる柳葉本人の考えーー前編公開直前に筆者は彼にインタビューする機会を得たのだが、その際に何度も「やりたくなかった」と、室井という役柄を払拭したいと語っていたーーを踏まえれば致し方ないものなのかもしれないし、受け手側としては作品の是非を語るよりも前に作り手側の考えを甘んじて受け入れることが必要である。 要するに、『踊る』シリーズを再び動かし続けていくための落としどころとして、真っ先に室井慎次という人物を終わらせなければならなかったというわけだ。旧シリーズのエピローグであり、新章のプロローグとして、この『室井慎次』2部作は存在したと捉えることができよう。