文化財として再現へ、西陣織の「裂」紡ぐ…手機職人・廣瀬純一さん
わずか5人、貴重な担い手
ガッシャン、ガッシャン、ガッシャン――。工房内に機織り機がリズミカルな音を力強く響かせる。織機にはつややかな経糸(たていと)が4000~8000本配され、職人が手足を小刻みに動かして文様を紡いでいく。 【画像】「早来迎」には製作した裂が使われた。京都国立博物館で開催中の特別展「法然と極楽浄土」で12月1日まで展示されている
明治創業の西陣織織元「廣信(ひろのぶ)織物」(京都市上京区)。工房には、日本画に用いる「絵絹」や、絵画、書跡を掛け軸に仕立てる際に彩る「表装裂(ぎれ)」など、色とりどりの裂が並ぶ。
金糸で植物などの文様をあしらった「金襴(きんらん)」は上品で鮮やかだが、主役の書画を引き立てるため、あくまでも控えめなデザイン。こうした裂は主に、文化財の修理に使われる。
4代目の廣瀬純一は丁寧な仕事と安定した技術で、同業者や文化財修理の関係者から一目置かれている。現在、西陣織の手織りの技術で表装裂を製作できる職人はわずか5人だけ。貴重な担い手の一人だ。
先代急死、ノート宝物に
機織りは繊細で根気がいる作業だ。右足でペダルを踏み、経糸の一部を引き上げる。その隙間に「杼(ひ)」という道具で 緯糸よこいと を通し、くし状の「筬(おさ)」で打ち込む。「大事なのはリズムと力加減」。五感を研ぎ澄まし、耳でも機音の強弱を確認する。
「昔は全て手作業だったので、糸の太さや色味にムラがあった。だからこそ、機械で織った裂だと均一過ぎて、長い時を経た書画の紙質とのバランスが悪くなる」と説明する。
2017年、「表具用古代裂製作」の国選定保存技術保持者だった父で先代の賢治が病気で急死。34歳だった廣瀬は覚悟をする間もなく、後を継いだ。
幼い頃から工房に出入りし、専門学校卒業後の20歳から本格的に修業を始め、機織りの技術は身についていた。しかし、引き継がれなかった経営者としての業務は多く、取引先とのやり取りなど工房は混乱した。
表装裂の製作では、染色や金箔(きんぱく)製造、生糸調達など分業化が進む。織元はそれらの「総合プロデューサー」として、素材の選定や織り方など、方針を決めるための打ち合わせを関係者と繰り返す。賢治は長年の古代裂の研究や復元を通じ、構造や織り方への造詣を深め、多数の文化財修理を先導してきた。だが廣瀬には、そうしたノウハウが伝授されていなかった。