平成事件史:戦後最大の総会屋事件(7) 「第一勧銀」と大物総会屋 「呪縛」はなぜ断ち切れなかったのか
昭和から平成期にかけて、反社会勢力である「総会屋」のビジネスを、日本を代表する証券会社が「一任勘定取引」で支えていた時代があった。さらにその資金は驚くべきことに日本を代表するトップバンクの「第一勧業銀行」が融資していたのであった。 【写真を見る】平成事件史:戦後最大の総会屋事件(7) 「第一勧銀」と大物総会屋 「呪縛」はなぜ断ち切れなかったのか 「第一勧銀」は背後にいた大物総会屋に怯えていたのだ。そうした状況の中でも、実は同社には「総会屋」との縁を切るチャンスが、再三巡ってきていたことが明らかになった。しかし、実際には不正を食い止めることはできなかった。その断ち切れない総会屋との「呪縛」とはいったい何だったのか、当時の捜査資料等をもとにドキュメントする。 ■巨額融資はなぜ止められなかったのか 「総会屋」小池隆一は野村証券など四大証券の株を大量に購入し、「株主提案権」という「強力な武器」を持つことにより、「小甚ビルディング」の口座に利益を付け替えるよう要求していた。その元手となった資金は、あろうことか日本を代表する大手都市銀行の「第一勧銀」から流れていたのだ。東京地検特捜部は1997年5月20日、強制捜査に踏み切った。総会屋への利益供与事件は証券業界だけでなく、エリート大手都市銀行の関与という新たな局面を迎えた。 「第一勧銀捜査班」キャップは、大分地検次席検事から戻ったばかりの大鶴基成(32期)だった。 午前9時、検察庁前の日比谷公園に集合していた検事、検察事務官100人の隊列が、大鶴を先頭に日比谷通りを渡った。そして「第一勧銀本店」に強制捜査に踏み切った。前例のない14時間半にもわたる入念な家宅捜索が行われ、深夜の第一勧銀本店からは、ダンボール600個分の証拠物が押収された。 大手都市銀行のエスタブリッシュメント「第一勧銀」に東京特捜部が強制捜査に乗り出すのは前代未聞だった。日本経済の血流に直結する金融機関に特捜部のメスが入ったのである。 しかも、同社がたった一人の総会屋「小池隆一」に融資していた金額は想像をはるかに超えていた。 この事件で第一勧銀は前会長の奥田正司ら11人の幹部が商法違反(利益供与)で有罪となった。認定された融資額は、1994年から1996年までの間、本体や関連ノンバンクの「大和信用」を使って不正融資された「117億円」に上った。 同社がのちに発表した社内調査によると、小池に対する融資は1985年から始まり、「大和信用」からの「う回融資」は総額「186億円」、第一勧銀本体からの融資は「274億円」に上っていた。 つまり、11年あまりの間に第一勧銀から総額「460億円」ものカネが湯水のごとく、反社会勢力とされる「総会屋」小池隆一側に流れ込んでいたのだ。
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