「1万分の1の確率で母がドナー適合者だった」吉井怜 骨髄移植で血液型も変わって
兄の言葉も背中を押しました。「いつ再発するかわからない不安を抱えているより、ちゃんと治してから復帰しても遅くないんじゃない?」と言われて。兄は3つ年上なので、当時21歳でしたが、すごく冷静ですよね。改めてセカンドオピニオンの先生に相談したら、起こりうる合併症のことや、不妊になることもすごく丁寧に伝えてくれて、そこで移植を決意しました。
■全身火傷のような感覚「涙が止まらないほどつらくて」 ── 移植はやはり大変でしたか?
吉井さん:何よりしんどかったのは、骨髄移植の直前に行う前処置でした。抗がん剤と放射線治療を全身に受けていくのですが、食べれられないし、食べても吐いてしまう。放射線治療が始まってからは、全身が火傷しているような感覚で、触れるものすべてが痛い。それでも毎日ちゃんとシャワーを浴びないといけなくて、涙が止まらないほどもうつらくて。その1週間は毎日泣いていましたね。 ドナーを提供する側も大変で、全身麻酔をして腰に4か所太い針を刺し、移植に必要な骨髄液を採ります。私も骨髄検査で胸の真ん中から骨髄液を採ったことがあるのですが、先生が針を抜く瞬間、体が浮くくらいのすごい衝撃でした。骨髄移植となると相当な量の骨髄液を採らなければいけないので、ドナーになってくれた母はもっと大変だったと思います。1回で採れる量には限りがあるので、数名の先生が交替で何回もくり返し、何時間もかけて採取したそうです。
移植すると、ドナーの方と同じ血液型になるそうで、私も母と同じ血液型になりました。 ── 移植後の経過はいかがでしたか? 吉井さん:移植後1か月くらいはひどい痛みが続きました。口の中は全部口内炎のような状態で、おかゆすら食べても戻してしまいます。ようやく食べられるようになったころ、冷凍食品なら差し入れしてもらっていいと許可が出たので、たこ焼きを届けてもらいました。たこ焼き、大好きなんです(笑)。あれは美味しかったですね。
PROFILE 吉井 怜さん よしい・れい。1982年生まれ、東京都出身。14歳で芸能界デビュー。グラビアアイドルとして人気を博し、98年TVドラマ『仮面天使ロゼッタ』に主演。2000年に急性骨髄性白血病を発症、02年に復帰。闘病記『神様何するの…』がベストセラーになり、03年フジテレビでドラマ化。現在は女優として映画やドラマ、舞台など幅広く活動中。 取材・文/小野寺悦子 写真提供/ホリエージェンシー
ちゃんと 編集部