「1万分の1の確率で母がドナー適合者だった」吉井怜 骨髄移植で血液型も変わって
■生存率より、芸能界に早く復帰できる治療を望んだ ── 5か月間の入院を経て、晴れてもとの生活に? 吉井さん:そうはならなくて。退院する直前に先生からお話があり、この先は抗がん剤で維持療法をするか、骨髄移植をするか、そのふたつを選択肢として提示されました。「あぁ、まだ復帰できないんだ」とそこで思い知った感じです。 維持療法は、まず1週間入院して治療し、3週間経って体力が戻ったらまた1週間入院して…を繰り返すやり方。骨髄移植のほうは、3か月程度の入院が必要だと聞かされました。私の場合は、維持療法は生存率が30%、骨髄移植だと生存率60~70%とのことでした。
── もちろん確率のより高いほうを選びますよね? 吉井さん:周囲はみんな骨髄移植を望んでいましたね。でも、私は維持療法のほうが芸能界に復帰できる可能性があると思って、迷わずそちらを選びました。当時の私にとっては芸能界に復帰することが何より大切で、少しでも早く仕事に戻りたかった。すでに5か月半入院したことで焦っていたし、移植でさらに3か月入院するなんてありえない、という気持ちでした。 でも、実際に維持療法が始まってみたら、復帰なんて全然できなくて。1週間入院して、次の入院までの3週間は自宅療養をしなければなりません。結局、3か月ほど維持療法をして、その後、移植に切り替えました。
── 何か移植に踏みきるきっかけがあったのでしょうか? 吉井さん:幸いなことに、母がドナーに適合したんです。きょうだいだと4分の1の確率だけど、兄は適合しませんでした。親と適合するのは1万分の1の確率と聞いていたので奇跡的な確率です。母と適合はしたものの、そうは言ってもやはり私のなかでは芸能界復帰が第一で、かたくなに移植を拒んでいました。でも、あるとき友だちと一緒に食べた焼き鳥がすごくおいしくて。“こんなにおいしいものが食べられなくなったら嫌だな”って、ふと思ったんです。仕事への復帰ばかりを考えていて、焦って維持療法を選んでいましたが、それよりも、まずは体が元気でないと何もできないなって、やっと気づけた瞬間でした。