かっこよくて可愛くて、会うと爆笑させてくれるラテン系。生きるお手本の祖母が、108歳で亡くなった【住吉美紀】
フリーアナウンサーの住吉美紀さんが50代の入り口に立って始めた、「暮らしと人生の棚おろし」を綴ります。 【画像】元気が出る!住吉さんの祖母107歳のダブルピース 先日、神戸の父方の祖母がついに旅立った。108歳。書類に書かれていた死因は「老衰」だった。病気もなく、前々日まで自分の口から食べ、前日まで水を飲み、車椅子に座り、最期は静かに呼吸が止まり、眠るように息を引き取ったそうだ。今時、凄いことだ。 でもやっぱり、大好きなおばあちゃんがこの世にいなくなってしまったと思うと、とても淋しい。父似の私は、その母である祖母に骨格などがそっくりで、親近感があった。それに外見だけでなく、私のルーツにある「魂」がどのようなものなのかをリマインドしてくれる、唯一無二の存在だった。 子供の頃からおばあちゃんっ子だったわけではない。大人になるまではむしろ、会えない時期の方が長かった。関東に生まれ、そのまま家族で海外に引っ越したので、幼少期は年一回も会えていない。神戸に住んだ10代の数年間だけ定期的に会えたが、その後再び家族で神戸を離れ、私はそのまま就職し、疎遠になったままだった。 再びおばあちゃんとつながったのは、自分の意志で、40歳頃からだ。フリーランスになりたてで仕事も上手く行かないことばかり、なのに相談相手もおらず、精神的にしんどい時期だった。それまで職場で毎日会う同僚という”擬似家族”がいたため誤魔化されていた孤独が、組織を離れてから一気に染み入った。 家族が近くにいればまた違ったのだろうが、家族は海外に暮らしていたため日常的に会えなかった。自分で家族を作りたいと思っても、婚活は実りがないどころか、(以前このエッセイでも書いたが)ひどい思いをすることが多く、先行きは暗かった。 そんな時、自然と亡き父や自分のルーツについて考えるようになった。私はどういうところから来た人で、どこに向かっているのだろう、と。父にはもう話を聞けないので、久しぶりに祖母に会いに行った。 90代の祖母は元気だった。もちろん老いてきてはいたが、病気もなく、介護度も軽く、施設と伯父の家を行ったり来たりしていた。なによりすごいのが、頭脳や思考がキレッキレで、弾丸のように喋りまくること。いろんなことを覚えているし、ユーモアもたっぷりだった。 「ちょっと美紀ちゃん、あんたもっと化粧しぃやー。もっと華やかにせんとあかんやん!」 とか 「カナダの家に遊びにいったのも懐かしいなぁ。あんたのお父さんにカラオケバーに連れていってもらって、そこにたまたま来てたかっこいい日本人パイロットさんと社交ダンス踊ってん。キャーうれしいってなったんが、忘れられへんわぁ」 と現状から思い出話まで、シャキシャキと話が弾む。 子どもの頃は家族のことなど分析しなかったが、大人の客観的な視点を持って祖母と接すると「こんなにラテン系の、明るい人だったのか」「こんなに当意即妙に、話が面白い人だったのか」と発見ばかりだった。