かっこよくて可愛くて、会うと爆笑させてくれるラテン系。生きるお手本の祖母が、108歳で亡くなった【住吉美紀】
初めて知る祖母の話もたくさんあった。大正5年に北海道で生まれた数日後、産みの母親が亡くなり、縁あって和歌山に養子に出されたこと。結婚して兵庫に暮らすようになり、5人の子どもを授かるも、祖父が早くに亡くなり、家政婦の仕事をしながらひとりで(私の父含む)5人を育てあげたこと。『ファミリーヒストリー』で詳しく調べてみてほしいような壮大な身の上話も、祖母はカラッと、さらっと話す。 大正生まれの働くワンオペ母。すでに働くことの悲喜交々を味わいながら15年以上仕事をしていた私には、おばあちゃんの凄さが沁みた。今の私より、ずーっと大変なことが、山ほどあったろう。腹の底からの尊敬の念と、心からの共感の気持ちが生まれた。 勇気も湧いた。当時、上手くいかないことばかりだった私は、悲観的になり、ウジウジしてしまうこともあり、そんな自分が嫌いだった。しかし、私の中に、このおばあちゃんの遺伝子が確実にあるのだ。明るくサバサバと吹き飛ばすようなリジリエンスも、”陽”に変換するウィットの要素も、祖母と同じ魂のエッセンスがきっと私にもある。要は、それを活かすかどうかなのだ。そう思うだけで心強くなった。 自分の外見に対してもコンプレックスが多かったが、祖母譲りの鳩胸も、鷲鼻も、「ラテン魂の勲章」と感じるようになった。 そこからは、機会を見つけては、神戸に祖母を尋ねるようになった。会う度に、記憶しておきたくなるような笑いがあった。 祖母は100歳の時、両大腿骨を骨折してしまった。退院後しばらくして、さすがに落ち込んでいるかと会いにいってみたら、なんともあっけらかんと、歩行器で登場した。 「おばあちゃん、めっちゃ元気そうやん! 脚をケガした他は悪いとこないん?」 「んー、ちょっとね……根性が悪いねん」 爆笑。 「おばあちゃん、また来るからね、元気でね」 「はーい、またね。長生きしぃや!」 ってどっちがやねん! とまた爆笑。 悩んでいる時は、細かい話はせずとも祖母からヒントを得ようと、ディープな質問を投げかけてみた。答えはいつもシンプルだった。 「おばあちゃん、赤ちゃん欲しいねんけど、ずっと出来へんねん」 「そんなん、あんた、大変な子どもがいるくらいなら、おらんほうがええで。美紀ちゃんとこ、ネコいるやん。ネコが子どもみたいで人生ええやん」 5人を一人で育てたおばあちゃんが言うと重みのある言葉だった。 「おばあちゃん、長生きの秘訣はなんやと思う?」 「うーん、いじわる、やな」 私はおばあちゃんと会うと帰り道、必ず元気になっていた。 無論、おばあちゃんだってひとりの時には、落ち込んだり悲観的になったりしたこともあったのかもしれない。人間だもの。しかし、それを超えて、人を楽しく、嬉しくできる、天性の魂。見習いたいと思った。
住吉 美紀