日本のトヨタから世界のトヨタに 世界が震撼、初代プリウス
21世紀を意識したクルマ
「21世紀に間に合いました」、これは初代プリウスのキャッチコピーだ。さらに車両価格の215万円は、「21世紀へGO!!」を意味している。そもそもプリウスの開発計画の名称が「G21プロジェクト」だったように、数年後に訪れる21世紀を意識したクルマだった。 当時ほとんどの人が初めて迎える"世紀末"を前に、「21世紀といっても数年後。実際は何も変わらないだろう」と楽観視していたなか、21世紀のクルマの変化を最初に具現化したのが初代プリウスだったと言えるだろう。
21世紀より前にCOP3に間に合わせる
「21世紀に間に合いました」のプリウスだが、それよりもひと足先に達成すべき命題があった。それは1997年12月に京都市で開催された国連の気候変動枠組条約国第3回締結会議(COP3)に間に合わせることだった。 各国の代表が地球温暖化防止に向けて議論を続け、採択されたのが「京都議定書」という国際条約で、その時に日本政府も2008~2012年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で6%削減する目標達成を義務付けられている。 開発エンジニアはプリウスのデビューに対し、「突貫作業の連続だった」と言っていたが、晴れてトヨタは初代プリウスを1997年10月に発表し、COP3開催に間に合った。
一般にはそれほどウケなかった!?
初代プリウスの車両価格は215万円。当時まったく未知のハイブリッドカーとしてはバーゲンプライスと言われたが、同じクラスのカローラの約70万円高ということで、一般ユーザーからすれば「車格のわりに高い」だった。 さらに燃費性能を向上させるために空力ボディを採用していたが、個性的ではあるが、カッコいいか、美しいかと言われるとノーという微妙なデザインだった。 そんなこともあり、初代プリウスはチャレンジングなクルマだったが、一般から受け入れられたわけではなかった。
意識高い系から支持
世の中にはある一定数、新しい物好きがいる。クルマに限らず、最新のもの、画期的なものを手に入れようとする人たちだ。私なんぞその欠片もない保守的な人間だが、新しい物好きにとっては初代プリウスほどマッチするクルマはなかった。 当時は、「初代プリウスに乗っているだけで人間としての偏差値が上がる」、と言われていたのも懐かしい。そんなこともあり、クルマのプロと言われる自動車評論家も新型プリウスをこぞって購入していた。