二十歳のとき、何をしていたか?/ダースレイダー 人生がまるごとRPG。 東大に合格したその夜に知った、 マイクを持ってラップする喜び
目の前でユダヤ人とアラブ人の友達が喧嘩を始めて戸惑ったとき、のちに背景に中東情勢があることを知ったという。彼らには伝承された生き方や土地の歴史という大きすぎるバックボーンがある。じゃあ日本人の自分は? その問いが、常に隣り合わせのようにそばにあった。培ったゲーム感覚は、大学入試でも発動。東京大学というボスを倒すゲームだ。
「3年間サッカーに打ち込んだので現役合格は狙ってませんでした。当時の僕の理屈は『浪人生は大学生になれるけど、大学生は浪人生になれないからいったんやっておこう』。試験会場には行って、いわゆる難しいダンジョンに入って死んでくるっていうのだけやりました(笑)」
御茶ノ水の駿台予備校の東大クラスに入り、苦手な古文や数学の授業に出つつ、レコード屋を回って遊んだ。イギリス時代、マドンナやマイケル・ジャクソン、ボーイ・ジョージといったポップスに触れ、東京で暮らし始めてからは地元のレコードショップにあったビートルズにハマった。そこからローリング・ストーンズ、イーグルスと’60~’70年代のロックに目覚めたため、作ったテープは友達よりもその親に人気だったそうだ。
「ロックの根っこにはブルースがあると気づいてから、スライ&ザ・ファミリー・ストーンやジェームス・ブラウンなどのソウルミュージックを聴くように。ヒップホップはその進行形という感覚でした。高校生になるとミクスチャー・ロックが流行って、周りのスケーターたちがレッチリとかハウス・オブ・ペインをセットで流して『これがかっこいいんだよ』とか言っていて。なので、僕の中ではずっと音楽は洋楽だったんです」
予備校でヒップホップと出合い、 東大合格直後にクラブデビュー。
音楽ライターになれたら、という仄かな夢はあったが、自分が音楽をやるとは微塵も思っていなかった。そんなとき、予備校で一風変わった人物と出会う。
「自習室にラジカセで音楽を流しながらガンガン声を出してる迷惑な人がいたんですよ。『何してるんですか?』って聞いたら、『お前ラップ知らないのか? 今日本語ラップが来てるんだ』って。3浪くらいしてる医学部志望の先輩で、最新のヒップホップウェアで身を固めた、予備校にだけはいなくていいはずの人(笑)。しかしこの人がやっているラップなるものは、楽器も弾かず、楽譜も見ずにできるようだ。しかも日本語で。こんな表現方法があるなんて、と感動したんです。僕にもできるかも、そう思った瞬間に音楽との距離が一気に変わりました。自分がラッパーっていうキャラになったらどう育てる? と新たなゲームが始まって、歌詞を書き始めたら面白くなっちゃって。でもふたつのゲームを同時に進めるのは危険だから、現場に行くのはやめて、まずは東大ゲームをクリアしようと」