二十歳のとき、何をしていたか?/ダースレイダー 人生がまるごとRPG。 東大に合格したその夜に知った、 マイクを持ってラップする喜び
ロンドンから東京へ。 ゲーム感覚を養った幼少期。
ラッパー、ダースレイダーさんの人生は壮絶だ。33歳で脳梗塞を発症し、左目を失明。40代で腎臓の数値が悪化し、余命5年を言い渡される。2017年4月11日、40歳の誕生日にリリースされた楽曲「5 years」には、絶望と葛藤、そして病と闘う生き様が込められていた。奇しくも20年前の同じ日、二十歳を迎えたダースレイダーさんは東京大学入学式という晴れの舞台にいた。その心境は、「完全にヤバい。みんなが仲良くなってるのに僕だけ『誰この人?』って感じで……」。 【取材メモ】当時「ラッパーで東大生」という肩書は話題になったという、あまり通わなかった学び舎で撮影。
どうしてそんなことに。さらに時間を巻き戻せば、そもそもダースレイダーさんはパリ生まれ。ジャーナリストの父親の都合で幼少期をロンドンで過ごし、小学4年生で東京の高井戸へと移った。
「ロンドンで読んだアドベンチャーブックの記憶を頼りに、即興でRPGを作って、友達にプレイヤーを割り振って遊んでいました。先生の似顔絵を貼った自作カードダスを作ったことも。人生そのものがわりとゲーム感覚なんですよ。中学受験もゲームと思って攻略しましたから」
小学校5年生で難関の武蔵中学を受けると決め、塾に行くとE判定。残り2年で合格するには、と攻略法を探った。
「ゲーム化によって自分で自分を操縦する感覚が身についた気がします。ドラクエみたいに、HPが少ないとか、防御力が低いとか、自分の能力値がわからないと戦えない。過信せず何ができるか分析する。そんな10代だったと思います」
自分が主人公でしかない多感な頃に周りが見えまくっていたとは。ロンドンで過ごした時間も影響しているんだろうか。
「あるかもしれませんね。引っ越しが多くて、時には国も変わってしまう。地元がないし居場所がないんです。よそ者としてコミュニティに入っていかないといけなくて、そこで自分がどういう人間で、何を考えているか説明できないと『お前は誰だ?』と言われてしまう。自分が何者かを常に考えていたと思います」