アメリカという永遠の難問...「マグマのような被害者意識」を持つアメリカと、どう関係構築すべきか
「ネガティブ・ケイパビリティ」醸成の場
この道徳的な混沌を、日本はいかに生き抜くべきか。草創期の『アステイオン』にはヒントが満ちている。 明石康は「故国の友へ」(1号)において、日本が経済的に豊かになるにつれ、「アメリカやほかの先進国とのつきあいに忙し」くして、世界の多数を占める途上国への共感が乏しくなり、「先進国のものさしで、開発途上国を判断」する傾向があることへの懸念を表明している。ガザ危機を通じて、「先進国のものさし」そのものの妥当性が問われる今日、いよいよ大事な警句だ。 山崎正和「ワールド・ダイアローグ」シリーズ、とりわけラルフ・ダーレンドルフとの対談「複雑さに耐える勇気」(3号)も示唆的だ。対談で二人は、「近代社会で、いろんな異種のグループの人たちとともに生きていくというのは、何と困難なことか」と再確認し、その困難を乗り越える道を様々に模索する。 とりわけ山崎が共存への鍵の一つとして指摘する、異論を「お互いに辛抱強く聞き合う」力は、昨今注目を浴びる「ネガティブ・ケイパビリティ」へも連なる先駆的な問題提起だ。 イギリス詩人のジョン・キーツが提唱した「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、白黒はっきりとつけられない曖昧な状況に、性急に答えを出そうとせず、耐え抜き、考え抜く力のことだ。 もっともこの能力をひとりで獲得し、発揮するのは難しい。だから論壇がある。多種多様な論客による集合的な「ネガティブ・ケイパビリティ」醸成の場。論壇がそうした面を持つとすれば、そのひとつの理想的なかたちを『アステイオン』は見せてくれている。
三牧聖子(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科准教授)