広島で原爆に自宅吹き飛ばされ、親族頼って長崎でまた被爆…姉弟の「二重被爆」体験知る企画展
父の復員後、3人で東京に移った。福井さんは結婚して青森県で暮らしていたが、偏見を恐れて周囲に被爆者であることを隠した。家族にもあまり体験を明かさなかった。一方、長崎に戻った相川さんは、被爆前後に見た広島、長崎での光景を絵や文章に記した。書き残した原稿用紙は約100枚に上り、一部を長崎原爆資料館などに寄贈した。
今年のノーベル平和賞に被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」が選ばれ、被爆地への関心が高まる中、企画展は今月20日に始まった。祈念館によると、外国人の来場者が増えており、手記の英訳を熱心に読む姿が目立つという。
福井さんは初日に会場でのトークイベントに参加。「今の若い人たちには想像もつかない経験だと思う。企画展を見た人が、その後にどんな思いを持つようになるのかが知りたい」と語った。
被爆地「両市」は22人
「二重被爆者」は広島と長崎の双方で被爆した人で、語り部などの平和活動に取り組み、米ニューヨークの国連本部でも核廃絶を訴えた長崎市の山口彊(つとむ)さん(2010年に93歳で死去)らが知られている。
厚生労働省は実数を把握していないが、長崎市によると、同市在住の二重被爆者は10人。広島と長崎の各国立原爆死没者追悼平和祈念館に氏名と遺影を登録している死没者のうち、被爆地が「両市」とあるのは現在22人という。