広島で原爆に自宅吹き飛ばされ、親族頼って長崎でまた被爆…姉弟の「二重被爆」体験知る企画展
「焼けタダれた負傷者であふれ」
広島と長崎で原爆に遭った福井絹代さん(94)(青森市)と弟の相川国義さん(2017年に84歳で死去)の被爆体験を伝える企画展「幼い姉弟が見た広島・長崎」が、長崎市内で開かれている。「二重被爆」という壮絶な体験をした姉の証言映像と、弟が描いた絵や手記を通して、原爆の悲惨さを訴えている。31日まで。(勢島康士朗) 【写真と地図】写真が語る 戦後大阪
広島の自宅で見た原爆の閃光(せんこう)、原子野に残った浦上天主堂(長崎市)の周囲に折り重なっている死体――。
会場の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館には相川さんの「原爆の絵」のパネル13点が並ぶ。〈長崎方面より進入して来た列車を見たとたん…うわっ…と叫んでしまった。広島で見た焼けタダれた負傷者で列車はあふれんばかりの人、人、人〉。絵にはそうした手記が添えられている。福井さんの約30分の証言映像も視聴できる。
長崎市出身の2人は父の仕事で広島市に転居。1945年8月6日、爆心地から1・8キロの自宅で被爆した。父子家庭で父は召集されていたため、当時14歳の福井さんは2歳下の相川さんと2人で暮らしていた。
自宅は爆風で吹き飛ばされ、福井さんはがれきの下敷きになったが、弟に助け出されて一命を取り留めた。遺体の間で野宿して夜を明かした。子ども2人で生き延びられる状況ではなく、親族のいる長崎を目指すことにした。
9日午後、道ノ尾駅近くで列車が急停車。列車を降りて長崎駅方面に進み、入市被爆した。2人は親族の家があった北側の外海地区まで計約40キロを歩き、再び惨禍を目にした。〈道路上には黒コゲ死体が折重なっている。生存者が、いれば心強いと、思ったのに、姉と二人だとわかると、恐怖で全身ガタガタと、震えがとまらない…〉。相川さんは当時のことを手記でそうつづっている。
福井さんも「亡くなった人の上を歩かなければ進めず、『ごめんなさい』『ごめんなさい』と言いながら歩いた。しゃがみこんで動かない弟を慰めた」と振り返る。