「東京」は思っていたのとまったく違う…外国人旅行者が驚愕した「日本人の姿」
ファッションも自由で個性的
さらに、「日本人は自分なりの個性的なファッションを楽しんでいて幸せそうだ。」とも言っていた。筆者は「日本よりもむしろ海外の方が個性を全開に出したファッションを楽しめるのでは?」と思ったが、どうやらそうでもないのだ。例えば「モードの都」と呼ばれるパリやミラノにおいても、冬場はみんな示し合わせたかのように全身真っ黒な服ばかりだ。友人の出身国であるカナダでは、そもそもファッションに無頓着な人が多い。 個性的なファッションの人ももちろんいるが、やはり変な目で見られたりはする。意外かもしれないが、見た目に関する「同調圧力」のようなものは欧米圏でも確かに、そして強く存在するのだ。 その点、日本人の若者のファッションは確かに自由なのかもしれない。もちろん時代によるトレンドはあるだろうが、「他人が個性的なファッションをしていようが、それはその人の好きでやっていることで、自分には関係のないこと」と考える日本人は意外と多いのではないだろうか。こうした「他所は他所」といった、良くも悪くも他人に無関心な日本的な風潮が、逆に海外から来た人には新鮮で、自由で、感動的に映るのかもしれない。
よくある田舎道をドライブ
日本に到着してすぐの頃は、文化や社会システムの違いと言語的な壁の大きさに戸惑っていた友人だったが、来日して二週間ほど経った頃にはカルチャーショックにも慣れ、日本という未知の旅先を自発的に楽しむようになっていた。 そんな日々も間もなく終了を迎える、帰国数日前のこと。筆者と友人はレンタカーで中国地方の田舎道を走っていた。 観光名所があるわけでもなく、山や海のダイナミックな自然景観が広がっているわけでもない。一面の田んぼに集落がいくつか点在しているだけの風景の中を、ただ真っすぐに伸びてゆく舗装道路。筆者にとっては、なんてことはない「よくある日本の田舎の風景」だ。 特に会話するでもなくドライブしていたのだが、ちょうど日が傾いてきて、一面に広がる田んぼでたわわに実った稲穂を、西日がキラキラと黄金に染めていた。助手席の窓からその風景を眺めていた彼の口からぽつりと出た言葉を、筆者は今でも覚えている。「本当に美しい国だ。この国に生まれたことを誇りに思うべきだ。」と。その声音は、なんだか少し震えているようにも聞こえた。 こうして、約一か月に及ぶ日本滞在を終えた友人は、たくさんの思い出や感動を胸にカナダへと帰国していった。