ハリス氏惨敗の背景に「アメリカ中流階級の生活苦の悲鳴」が聞こえる
1981年以来最悪の9.1%のインフレ率
フロリダ州ケープコーラルに住むジョン・オルセン(53)も、そのような不安を痛感している。犬の誕生パーティー用品などを取りそろえたオンラインショップ「ポーティーエクスプレス・ドットコム」を経営するオルセンは、燃料費や食品価格の上昇などにより膨れ上がる事業経費に苦しめられている。 いまオルセンはクレジットカードの債務を抱えていて、会社が廃業に追い込まれるのではないかと恐れている。バイデンが言う「ソフトランディング」どころの話ではない。 「政府は私たちをだまそうとしているのではないか」と、オルセンは言う。「普通の人たちの感覚に比べて、信憑性の乏しいデータを基に発言しているように思う」 オルセンによれば、ビジネスオーナーとして最も手ごわく感じる問題はインフレだという。22年には、1981年以来最悪の9.1%までインフレ率が上昇したこともあった。 例えば、オーガニックチキンの仕入れ値は、ここ数年で2倍に跳ね上がった。これでは、ウォルマートや、ペット用品オンライン販売大手のチューイーといった大型チェーン店とは競争できない。 卵やガソリン、自動車保険といった基本的な生活用品やサービスの価格も、コロナ禍前と比べると大幅に上昇している。 【クレカ債務という甘い誘惑】 ピュー・リサーチセンターの調査によると、6月の時点で、シリアルや牛乳など朝食の定番品の価格は、20年1月と比べて約40%も高かった。食品全般で見ても、19~23年の4年間で25%上昇と、住宅価格や娯楽費、医療費などの上昇を上回っている。 米農務省によると、同時期に輸送コストも27.1%上昇した。ただ、ガソリンの小売価格は乱高下が激しい。6月の小売価格は20年1月と比べると35.9%高かったが、7月下旬には1ガロン当たり3.598ドルと、22年半ばのピーク時と比べれば半額近くまで下がっている。8月半ば過ぎには3.382ドルと、1年前よりもわずかに安くなっている。 これに対して6月の自動車保険料は、20年1月と比べて47.3%も上昇した。その背景には、修理費の上昇(47.5%)がある。 「今は自宅のソファに寝転がっているしかない。ここ6~7回企画したイベントは、利益がほとんど出なかったから」と、オルセンはため息をつく。「2年半前は年40~50%のペースで売り上げが伸びていたのに、今はゼロに近い」 首都ワシントンに住むアディソン・ムーア(24)は、2つのアルバイトを掛け持ちしながら、職業訓練学校に通っている。月収600ドルでは贅沢をする余裕はほとんどなく、目先の数カ月を乗り切れるか考えるだけで精いっぱいだ。 「正直言って、生活はかなり苦しい」とムーアは言う。「クレジットカードのおかげで生き延びているようなものだ。カードなら毎月の返済額を抑えることができるから」 現在は友人の実家に居候しているが、フードスタンプ(低所得者向け食料クーポン)の受給資格は失ってしまったため、1週間の食費を100ドル以下に抑えるのに必死だ。定期的な貯蓄はほとんどできない。 アメリカンドリームなんて夢のまた夢だ。「夢見る以前に乗り越えなければならないハードルが多すぎる」と、ムーアは浮かない顔で言う。 インフレが収束し、雇用指標も良好だから、米経済は景気後退を回避できるという見方に、ムーアは同意できない。経済指標は、多くのアメリカ人の置かれた状況を反映していないというのだ。 「数字は良好でも、私たちはとうてい明るい気分にはなれない」とムーアは言う。「指標が物語ることは、経済の末端で起きていることとは全く違う気がする」 ムーアと同じように、多くのアメリカ人はクレジットカードで生活費の支払いをしている。ニューヨーク連邦準備銀行によると、今年4~6月期のアメリカの家計のクレジットカード債務残高は過去最高の1兆1400億ドルに達した。前年と比べて5.8%もの増加だ。 クレジットカードは、「あとで返済できる収入だと思っている」と、ムーアは語る。「いつも限度額ぎりぎりまで使い切っているのは、とにかく生活費が高いから。贅沢をしているわけじゃない」 【年収15万ドル以上でも不安】 モンタナ州ハバーに住むタイラー・アズア(31)も、夫を含む10人家族の毎月の生活費はクレジットカードで支払っている。週600ドルほどになる食料品もカード払いだ。 「とんでもない状況だ」と、アズアは言う。「(カードの返済で)私と夫の給料はほとんど手元に残らない。でも、どこを切り詰めればいいか分からない。毎晩ラーメンで済ますわけにもいかないし」 アズアは事務部門の管理職だが、1月にも9人目の子を出産予定で、好況への期待感より、将来への不安のほうが大きい。「クレジットカードは3枚持っているけれど、全部限度額まで使い切っている」と彼女は言う。「そして毎月の返済額は最小限に抑えている」 一家は1月に6LDKの家に引っ越したばかりだが、将来のことは全くわからないと、アズアは言う。「子供を産み、充実した人生を送り、子供たちが親よりも良い人生を送れるようにする経済的な余裕、そういうものが今は全然ない」と、アズアは語る。 「そうなればいいなと思うけれど、現実味は乏しい」 生活に不安を抱いているのは、低所得層や中間層だけではない。6月に発表されたフィラデルフィア連邦準備銀行の調査では、年収15万ドル以上のアメリカ人の約32.5%が、向こう6カ月の家計が赤字に陥らないか心配だと答えている。1年前は21.7%だったから大幅な上昇だ。 ただ、この調査で「将来が不安だ」と答えた人の割合が最も大きかったのは、年収4万ドル以下の層で、40%に上った。全調査対象者の平均は34.9%だった。