なぜ中国人は元寇を知らない? 公教育が避ける「中華民族による侵略の歴史」
元は「中華王朝」だったのか
中国史において、元朝は異色の王朝だ。 歴史上、万里の長城の外からやってきて中国本土(漢民族の伝統的な居住地域)の全域を制圧した非漢民族王朝は、元朝と清朝だけである。だが、清朝は長い中国統治のなかで、支配層である満洲族が多数派の漢民族の言語や生活習慣を多く取り入れ、「中華王朝」らしい雰囲気を濃厚にまとうようになった。 彼らは王朝の中期まで、漢民族の価値観では夷狄(野蛮人)とされる自分たちがなぜ天命を受けて中華を統治しているのかを、なんとか理論化しようといじらしく努力した形跡もある。一方、元朝の支配者だったモンゴル人たちの漢化は限定的だった。 そもそも、本質的にグローバル規模の存在だったモンゴル帝国にとっては、広大な中国本土ですら帝国のパーツでしかない。彼らはわざわざ中華に染まったり、統治の正当性を理論化したりする必然性を、清朝ほどには切実に感じていなかったように見える(切実になる前に元朝の中国支配が終わったからでもある)。 また、世界史の年表だけを眺めると、1368年の明の建国によって元が滅びたように見えるが、実際の彼らはこのとき中国本土を「損切り」して北方の本拠地に戻っただけだ。元朝の後継政権は、中華世界とは別物の強力な権威として、その後も草原世界で数百年にわたって存在し続けた。 後世の中国人は、約1世紀にわたり中国本土を支配した元朝を、中華王朝の正統に位置づけざるを得なかったが、モンゴル人の側はその評価にさほどの価値を覚えていない(現在、少数民族として中国国家に組み込まれた「モンゴル」族に限れば、自民族の地位向上につながるのでありがたいはずだが)。 こうした複雑な事情もあって、現代中国における元に関係した言説はどこかよそよそしい。中国史上で最大の版図を実現したはずの「中華皇帝」フビライも、中国人の間では人気がない。中国の首都である北京の直接のルーツが、フビライが建設した元の首都の大都であることも、あまり声高には語られない。 そんな微妙な感覚がうかがえる文章が、党の広報サイト『中国共産党新聞網』に掲載されたことがある。 2016年7月7日付の、習近平の外交姿勢を讚える記事だ。その2年前の8月におこなわれた彼のモンゴル訪問を紹介するなかで、党のこの手の文章には珍しく、フビライや元寇に言及している。 ただ、記述はこのようなものである。 「日本の『神風』特攻隊の名称は、モンゴルと関係がある。約八百年前(原文ママ)、中国と朝鮮半島をすでに制圧したフビライは日本を攻撃することを決めたが、強大なモンゴル艦隊は突如として襲来した台風により打ち砕かれ、日本は安全を保つことができた。『神風』の名はこれに由来する。モンゴルがソ連の支配を脱してから、日本はほどなくモンゴルの密接な友人となり......」 自国史の話とは思えない他人事感だ。元朝を中華王朝として認めざるを得ないものの、対外侵略はモンゴル人がやったことで、中国とは無関係。そう言わんばかりの書き方に思えるのは私だけではあるまい。 「中国は歴史上で一度も他国を侵略したことがない」 そんなお約束を嘯くためにも、現代中国にとって元朝の歴史は頭が痛い。
安田峰俊(紀実作家)