なぜ中国人は元寇を知らない? 公教育が避ける「中華民族による侵略の歴史」
中国人は元寇を知らない
一方、中国である。 当時の彼らはモンゴルに征服された立場とはいえ、中国は後世でも元朝を中華王朝の正統に位置づけている。中国共産党は、国内に約629万人いる「少数民族」モンゴル族を中華民族の一部であると主張しており、そのためチンギス・ハン以下のモンゴル帝国の皇帝たちも中華民族の英雄ということになっている。 この定義に従う限り、元寇は中国の自国史の一部である。ただ、「元寇」という言葉は日本側の呼称なので、漢字でこう書いても意味がわかる中国人はほぼいない――。 いや、問題は国による呼称の違いではない。実は、中国側で用いられる「元日戦争」(元と日本の戦争)や「元朝東征」(元の東方征服)と書いたところで、やはり大部分の中国人はピンとこない。理由は彼らの間でこの戦争の知名度が極めて低いためだ。 日本国内にいる大学院生レベルの中国人留学生に尋ねても、元と日本が戦った歴史を「来日後に初めて知った」と答える人が目立つ。中国国内の公教育でほぼ習わないうえ、中国の若者の約半分が受験する高考(ガオカオ・大学共通入試)の歴史科目でも出題されないことから、高学歴層の間ですらほとんど知られていないのだ。 加えて、元寇当時の元朝、すなわち大元ウルスは、初代のチンギス以来の対外拡張方針をまだ継続している時代だった。フビライは中国南部(南宋)と日本以外にも、現代の地名でいう北ベトナム(陳朝)と南ベトナム(チャンパー王国)、ミャンマー(パガン朝)、インドネシア(マジャパヒト王国)、さらに樺太のアイヌらしき集団(骨嵬[クイ])にも遠征軍を送っている。 無数に実施された遠征の矛先に、日本が含まれていたかが気になるのは日本人だけだ。たとえ同じ「中華民族」の行動でも、漢民族にとっての征服者だったフビライが他にどこの国の攻撃を命じていたかは、圧倒的多数の中国人にとって関心の枠外にある。 アカデミックの世界においてさえ、元寇への関心は比較的低調だ。 中国の学術論文検索データベースである『CNKI』(中国知網)で「元日戦争」や「元朝東征」を検索すると、それぞれ6件と14件しかヒットしない。「フビライ+日本」のように検索ワードを工夫すれば、もっと多くの論文が見つかるため、学界の関心はゼロではないはずだが、戦役の学術的な呼称さえろくに定着していない現状は察せられる。 一連の論文をチェックしてみると、習近平政権下で学術研究の制限が強まった2010年代半ばごろから、戦役の実情や元側の内部的な事情を考察する内容が減り、元寇の日本側における受け止め方を論じるといった「搦め手」からの切り口が目立つようになる。 中国は公教育のなかで「中国は歴史上で一度も他国を侵略したことがない」「世界で最も平和を好む国」という(どの口が言うのかと思える)歴史認識を教え続けており、外交部の定例記者会見でもこの主張を繰り返している。習近平についても、「中華民族の血のなかに、他者を侵略して覇道を唱えるような遺伝子はいまだかつて存在したことがない」と述べているほどだ(2021年10月9日、辛亥革命110周年記念大会講話)。 たとえ700年以上前のモンゴル人の皇帝の行動でも、「中華民族」の王朝が明確に他国を侵略した事実を詳しく掘り下げる研究は、現体制下では政治的にあまり喜ばれないのだと思われる。 ただし余談を書けば、中国のウェブ百科事典『百度百科』の「元日戦争」の記事は、なぜか筆致がかなり客観的で、内容も充実している。世間の無関心や政治的な締め付けの陰で、日本史や日本側の元寇研究にも目配りのある研究者が、記事をこっそりと執筆して憂さを晴らしたのかもしれない。