IMALU「帰ってください」報道陣に怒っていた子供時代に「自分らしくいられた場所」
幼い頃からの友人も奄美の島民に……!
2024年もあと2ヵ月。今年もこのままあっという間に終わってしまいそうですね。今年の個人的ニュースといえば、大きなことが1つありました。この連載でもSNSにもどこにも言ってなかったんですが、実は今年の夏、私の友人が東京から奄美に移住してきたのです……! 彼女は私の小学校の同級生で、15年前に成人式で再会したことをきっかけによく飲みに行くようになり、地元でご飯を食べに行ったり、お互いの誕生日を祝い合ったり、”海好き”という共通点もあり夏は茅ヶ崎や葉山などの海に一緒に遊びに行くような仲でした。私が奄美に引っ越した時も一番最初に遊びにきてくれて、島をすぐ気に入り何度も何度も遊びに来てくれて、地元の人たちに「〇〇ちゃんおかえり!」と言われていた子でした。東京での仕事を辞めるタイミングで、奄美の移住を決断。島の仕事もすぐに決まり、トントン拍子に物事が進み気づいたらあっという間に島民になっていったのです……! 東京で会っていた友達が、今は島のご近所さんとして会うのはなんとも不思議なんですが(笑)、カーリーヘアにビーサンで歩く彼女の姿は、島に馴染みすぎてしっくりも来るのです。「まだ島に来て3ヵ月」と言うと島の人も毎回ビックリしています(笑)。私としては昔から知っている友達が島にいてくれるのはとても心強い! 奄美が「新しい地元」なんて言っていましたが、今じゃ本当の地元の人がいますからね(笑)。彼女のお陰でホーム感が更に増したようにも感じます。
警戒心が強かった私が「自分らしくいられた場所」
私は今でも小学校・中学校・高校の友達みんなと仲が良く、そのことを人に言うといつも驚かれます。両親が芸能人という少し特殊な家庭環境で育ったことから「友達作りは苦労した?」「イジメにあったことある?」などの質問を過去に受けたことがあります。 私が生まれた1989年当時の芸能界の風潮もあり、両親は私の名前を世間に公表したため、色んな人が私の名前を知っていました。小さい頃、母と一緒に歩いていると「イマルちゃん~」と知らない人から声をかけられ「なんで私の名前知ってるの!?」と怒っていたこともあったそうです(笑)。母が何かの報道に出ると、芸能リポーターの人たちが家の前に集まっていることはしょっちゅうあり、学校から帰ってきたランドセル姿の私に「お母さんいるの?」と聞いてきたり、家の窓から「帰ってください!」と私が報道陣に怒ると、笑いながらカメラとマイクを向けられたなんてこともありました。 そんな環境もあってか、子供の時の私は警戒心がすごく強く、眉間にシワを寄せながら周りを見ていたような子だったので学校の同級生からは近寄り難い子だったかもしれませんが(笑)、友達にはとても恵まれ、自然と作ることができました。子供同士はそれぞれの親がどんな仕事をしてるだろうが正直どうでもいいですから、大人といる時より子供同士の空間の方が自分らしくいられたと思います。 好きな音楽が一緒とか笑いのツボが一緒とか、そんな何気ないことをきっかけに仲良くなり、プリクラを撮りに行ったり、カラオケに行ったり、お互いの家族の悩みやグチを話したり……(笑)。そんなことをしてるうちに10代・20代・30代とあっという間に大人に。お互いの成長を見守り、支え合い、長い友達はもう20年以上の付き合いになりました。