「裏切られた」不登校だった少年が抱えていた孤独 学校にあらがい続けた13歳の死、教育委員会の対応は「機能不全」に
「翔は、お兄ちゃんが侮辱され、教師たちが不誠実な対応でごまかそうとするのを間近に見ていた。2人はこの件をきっかけに他の児童からいじめを受けるようになった」。千栄子さんはそう証言する。 5年生の春、翔さんは最寄り駅の公衆電話から「先生の体罰が怖くて学校に行けない」と110番した。大阪府警が遺族に開示した相談受理の記録によると、兄が教師から暴言を受けたことや、自分自身も別の教師に投げ飛ばされたことを泉南警察署の少年係に訴えていた。 6年生に進級すると、全く学校へ通わなくなった。「この1年は行かんって決めてる」。登校を促す教師らにはそう反発し、小学校最後の1年間は1日も出席しなかった。 ▽「明日からは行かん」 中学校に行けば、教師や生徒の顔ぶれも変わる。環境の変化を期待したのか、年度替わりの時期を迎えると、翔さんは周囲に「中学になったら、学校に行く」と語るようになった。実際、2021年4月に中学へ進学後、しばらくの間は登校を続けていた。授業に出られない日も学校には足を運び、飼育していたイモリの世話などを喜んで引き受けた。だが夏休みを控えた7月のある日、小学校時代の不登校について「同級生から『少年院帰りだから』『障害だから』などと陰口を言われるようになった」(千栄子さん)。
根も葉もない噂を立てられ苦しんだ翔さんは、クラス担任に「小学校の時に通えなくなった経緯を他の生徒に説明してほしい」と求めたが、受け入れてもらえなかった。 2学期が始まって1カ月ほどたった頃、学校から帰った翔さんは「明日からは行かんから」と宣言し、再び不登校になった。千栄子さんは、その日に学校で何かあったのではないかと考えている。「あの子の身に何があったのか。それが死を選ぶ原因につながった可能性はないのか。私が知りたいのはそれだけなんです」 ▽翔さんの死と向き合わない教育委員会と学校 千栄子さんが強く憤るのは、翔さんが亡くなってからの市教育委員会の事務局や学校側の対応だ。事務局は、遺族に弔問を拒否されたことを理由に「事実関係が確認できない」と主張し、翔さんの自死について4カ月も教育委員会に正式な報告を上げなかった。 中学校が翔さんの死から1カ月後に作成した「基本調査報告」には、家庭に責任を転嫁するような記述が並ぶ。教職員アンケートで翔さんについて何らかの回答を寄せたのはわずか11人だったが、学校側は「本事案(翔さんの死)に関する情報は特になかった」と早々に結論付けた。