出さなきゃよかった…。ミラン退団で化けた元アカデミー選手6人。ライバルクラブでレジェンドになった男も
ホームシックですぐ退団…。小さなイタリアのロマーリオ
FW:ファブリツィオ・ミッコリ(元イタリア代表) 生年月日:1979年6月27日 現所属クラブ:なし(引退) ミラン在籍期間:1992年~1994年 168cmの小柄な体格と独創的なプレースタイルから「サレントのロマーリオ」の愛称で親しまれたファブリツィオ・ミッコリ。短期間ではあるがミランのアカデミーに在籍していたという事実を知る人はあまり多くないかもしれない。 イタリア・プッリャ州レッチェ県ナルド出身のミッコリは、12歳の時にミランのアカデミーに加入。だが、多感な時期に故郷を離れたことに加え、繊細な性格も影響してか、ホームシックにかかりわずか2年で地元クラブのヴィルトゥス・カザラーノに移籍した。 2002年にユヴェントスに移籍をすると、以降はフィオレンティーナやパレルモでもプレー。特にミッコリが輝いたのは2007年~2013年に在籍したパレルモ時代で、公式戦通算179試合に出場して81得点48アシストをマークし、クラブ最多得点記録も塗り替えた。 しかし、パレルモとの幸福な関係は、2013年6月にマフィアとのつながりが発覚したことで終焉を迎える。シチリアに居られなくなったミッコリは最終的に故郷のレッチェへと移籍したが、その後キャリアは一気に低迷。2015年12月に現役を引退した。 2000年代のミランがアンドリー・シェフチェンコやフィリッポ・インザーギといった名FWを擁していたことを踏まえると、ミッコリがホームシックにならずにアカデミーで活躍を続けていたとしても、トップチームでのプレー機会が訪れたかどうかは定かではない。 それでも、「サレントのロマーリオ」が退団後に放った光の眩さを思えば、ミランが稀有な才能をみすみす逃してしまったのは事実だ。重心が低く切れ味の鋭いドリブルやパワフルなシュートは、当時のミランでも十分に通用していたように思える。
意外!? インテルのレジェンドになった男
GK:フランチェスコ・トルド(元イタリア代表) 生年月日:1971年12月2日 現所属クラブ:なし(引退) ミラン在籍期間:1987年~1990年 フランチェスコ・トルドという名前を聞くと、インテルやUEFA EURO 2002(ユーロ2002)におけるイタリア代表の守護神として活躍した姿を想起する人も多いだろう。だが、イタリア・ヴェネト州パドヴァ出身のGKは若かりし頃、ミランのアカデミーで選手としての基礎を固めていた。 196cm・90kgの体躯を生かした数々のビッグセーブで人々の記憶に留められているトルドだが、幼少期はGK以外のポジションを務めていたようだ。 2022年2月にイタリア紙『コリエレ・デル・ヴェネト』の取材に応じたトルドは「最初はサイドバック(SB)や守備的MF、センターフォワード(CF)で試合に出ていた」と回顧。「ある日GKをやってみた。雪が降っていて、ボールを掴もうと雪が降り積もった地面に夢中で飛び込んだよ」と、人生の転機を明かした。 ミランのアカデミー時代は、当時の正GKだったジョバンニ・ガッリから学ぼうとひたむきに努力したトルド。トップチームで居場所を確保することは叶わなかったが、1993年に加入したフィオレンティーナ、2001年~2010年の現役引退まで在籍したインテルでは頼れる守護神としてゴールマウスに鍵をかけた。 インテルでは、2005/06シーズンよりジュリオ・セザルに正GKの座を奪われたものの、不平をこぼさず貴重なバックアッパーとしてチームのリーグ5連覇とイタリア史上初の三冠達成に貢献した。 引退後、トルドは建築会社を経営するなどビジネスマンとしての才覚を発揮している。 ただ、サッカーへの情熱は依然として持ち続けているようで、2020年4月にイタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』のインタビューに応じた際には、かつての自分に似たスタイルを持つGKとしてサミール・ハンダノヴィッチやジャンルイジ・ドンナルンマといった古巣の後輩たちの名前を挙げていた。