村山談話って何? なぜ話題になるの? 「植民地支配と侵略」/「村山談話」全文付き
政治家の歴史認識が話題になるとき、よく取り上げられるのが「村山談話」です。 村山談話とは、文字通り村山さんによる談話のこと。戦後50年にあたる1995年の終戦記念日(8月15日)に、当時の村山富市首相(社会党)が日本の植民地支配と侵略を謝罪した声明文で、閣議決定されました。以来、日本政府の公式見解として歴代内閣が引き継いできました。 村山談話のポイントは、過去に「国策を誤り」、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとして、「痛切な反省の意」と「心からのおわびの気持ち」を表明したことです。 政治家の中には、村山談話の内容に納得していない人が少なからずいて、村山談話を批判する発言が報じられることがあります。 安倍首相は4月22日の参院予算委員会で、村山談話を「安倍内閣として、そのまま継承しているわけではない」と述べ、翌日には「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べるなど、村山談話に納得していない様子です。首相の発言は海外で波紋を呼びましたが、菅義偉官房長官は5月10日の記者会見で、村山談話について「全体を歴代内閣と同じように引き継ぐ」と述べ、首相発言を修正した形になりました。(発言引用はすべて朝日新聞デジタルで、それぞれ4月23日、24日、5月11日) *
村山談話の全文
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話) 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。(1995年8月15日、外務省ウェブサイトより)