「立浪監督は間違っていた」3年連続最下位の中日にズバリ…江本孟紀が語る“立浪和義の致命的ミス”…星野仙一も実践した「参謀は仲のいい人間ではダメ」
2022年に中日ドラゴンズの監督に就任。チーム低迷の立て直しを期すも、3年連続最下位に終わり、今シーズンで退任した立浪和義。「ミスタードラゴンズ」は、なぜ監督として成功しなかったのか。その理由を考察した野球解説者・江本孟紀氏の新刊『ミスタードラゴンズの失敗』(扶桑社)より抜粋して紹介する。第1回は、ヘッドコーチに島野育夫を指名した闘将・星野仙一との“比較論”。〈全2回の1回目〉 【レア写真】「まるで美白アイドル」立浪和義、「はじめて見た!」松井稼頭央…2人のカワイイPL学園時代。「パンチパーマかっこよすぎ」江本孟紀の若き頃など記事写真を一気に見る
「“仲良い参謀”はダメ」の教え
なぜ星野さんが、島野さんをヘッドコーチに選んだのか。前述したが、私は川上哲治さんの影響が大きかったと見ている。前にもお話しした通り、星野さんと川上さんは深い信頼関係で結ばれていた。その川上さんから、 「監督たるもの、右腕となる参謀は仲のいい人間ではダメだ。分析力があって、広い視野で物事を見られる人間がいい。それには友情などは関係ない」 と言われれば、星野さんも納得していたはずだ。 川上さんは、巨人をV9に導いた監督であったが、見逃してはならないのは川上さんと共に歩んだ参謀の存在である。その人物は牧野茂さんだ。のちに藤田元司さんが巨人の監督に就任したときもヘッドコーチを務めた人物である。 牧野さんといえば、「巨人のヘッドコーチ」のイメージが強いせいか、現役時代も巨人出身のように思われる人もいるが、実はドラゴンズで現役を過ごした。明治大学から1951年にドラゴンズに入団し、8年間を過ごした。その後引退し、1960年の1年間だけドラゴンズでコーチを務め、翌年は、デイリースポーツで野球評論家として舌鋒鋭い批評を書いた。 このとき批評のターゲットにしたのが巨人だった。巨人の長所や短所を的確に指摘し、勝敗のポイントになった場面や、采配面で気になったことなどを具体的に挙げた。それが当時、巨人の監督1年目だった川上哲治さんの目に留まり、牧野さんの指摘する内容の鋭さに感心した。それが縁で、1961年のシーズン途中から牧野さんは巨人のヘッドコーチに就任することになった。 当時は現役時代に所属したチーム以外で指導者として雇われることがなかった時代だったので、ドラゴンズにいた牧野さんが巨人のユニフォームを着ることは、異例中の異例だった。 そうまでして川上さんが牧野さんに託したかったのは、メジャーのロサンゼルス・ドジャースで実践され、成功を収めた「ドジャース戦法」をチームに根ざすことだった。巨人がアメリカのフロリダ州ベロビーチで春季キャンプを行った1963年、巨人の首脳陣や全選手が帰国した後もアメリカに残り、ドジャース戦法の研究に明け暮れた。その結果、「守備練習こそが勝利への直通路である」と結論づけ、1965年から73年までの9連覇というかたちになって表れたのだ。 のちに川上さんが、「牧野がいなかったら巨人のV9は達成できていなかったであろう」と話していたことからも、牧野さんに対して絶大な信頼を寄せていたことがわかる。
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