【大学野球】侍ジャパン大学代表4年生投手の中で東日本国際大・藤井優矢が「プロ志望届」を提出しなかった理由
社会人野球へ進む選択
角館高(秋田)に入学時は遊撃手だった。「1学年上に投手がいなくて、チーム事情から1年秋から遊撃手と兼任するようになりました。投手専任になったのは大学入学後です」。縁があって東日本国際大に進学。藤井が1年生だった7月、藤木豊監督が就任した。かつて八戸大(現・八戸学院大)を率い実績十分で、多くのプロ野球選手を輩出。藤井にとっても、新指揮官との出会いが転機となった。「厳しく接してくれ、大きかったです」。 3年春に4勝を挙げ、南東北大学リーグ優勝に貢献すると、全日本大学選手権で全国デビューを飾った。ところが、同秋は右肩を痛め、登板できなかった。リハビリを経た最終学年の春、エースとして全国4強へと導いた。 大学日本代表候補合宿期間中、藤井に大学卒業後の「進路」について聞くと、慎重に言葉を選びながらこう答えていた。 「社会人が基本ですが、大学選手権次第と、自分の中では考えていたので、監督と相談という形です。自信もついてきましたので……」 本気でプロを目指す上で、藤井には2つの条件があった。「監督に信頼されるピッチングをする。チームを勝たせる」。いずれもクリア。一度は迷ったが、やはり、当初からの方針であった社会人野球に進む選択をした。 出身地である東北の強豪企業チームからは、故障していた3年時から声がかかっていたという。投げられない時期から高く評価してくれた相手の期待に、背くことはできない。社会人野球の最高峰である都市対抗野球大会で活躍し、故郷に恩返しする。これほど、モチベーション高く取り組める環境はない。 この秋は南東北大学リーグを7季連続で制したが、明治神宮大会東北地区代表決定戦1回戦(対仙台大)で敗退。藤井は大学での公式戦をすべて終えた。休む間もなく、社会人合流まで、オフシーズンは体力強化に励む。 好きな投手はソフトバンク・有原航平だ。 「自分はそこまでスピードがないので、打たせて取りながら、ゲームの流れをつくっていくタイプ。三振を奪いたい場面では、三振を狙う。メリハリある、投球術が持ち味です」 藤井は「気持ち」で動く投手だ。先発、救援、どのポジションでも対応可能なタフさが売りだ。一発勝負のトーナメントが多い社会人野球では一層、輝きを増すはずだ。採用してもらった会社のために全力で腕を振り、2年後、「即戦力」でのドラフト指名を目指す。 文=岡本朋祐
週刊ベースボール