「親の期待」にこたえ続けてきたのに、“人生しんどい”のは何故なのか?
周囲からの期待に必死で応えようとする人がいる。しかし、相手に自分の期待を押し付ける人の欲望は、どこまでも際限がないものである。周りを気にせず、自分の人生を歩むにはどうしたらいいのか。早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏が語る。 ※本稿は、加藤諦三著『「自分」に執着しない生き方』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
解決しようとしてはいけない問題がある
どうにもならない人生から逃げようとしているから、いつまでもイライラするのである。よくなろう、よくなろうとするからイライラする。どうにもならない人生を、どうにかしようとするからイライラするのだ。 どうやったって、どうにもなりやしない。そのどうにもならない人生から逃げようとしていれば、いつになっても苦しい。どうにもならないこの人生を、どうにもならないものとして背負って生きていくのである。 逃げるな! 逃げれば必ずつかまる。逃げずに逆にこの手で人生をつかんでしまえ。 僕は20代で『俺の胸に火をつけた言葉』(現在、『20代の私をささえた言葉』にタイトル変更)を書いているころ、人間は死ぬまでやればなんとかなるだろうと思っていた。 しかし、これを書いている今は、死んだってどうにもなりはしないとわかった。『俺の胸に火をつけた言葉』より前の本を書いている時、学歴がなくて人にバカにされている人は、くやしいのだろうなと思った。 しかし、今はそうは思わない。学歴がなくてバカにされて、出世できなくたって、それで生きていけるなら、ありがたいことだと思う。バカにされてくやしいのは、そのバカにした人と同列だからである。そんなくやしさは、精神的に他人にぬきんでさえすれば解決がつく。 しかしこの世の中には、この人生には、気持ちのうえでいっさいを超越したぐらいでは、どうにもならない問題がたくさんあるのだなあと思いだした。肉体の苦痛やその他の問題は、超越ぐらいで解決がつくものではない。 つまり、解決しようとしてはいけない問題があるのである。解決しよう解決しようとすれば、いよいよつらくなる。そして解決しようとする気持ちがあるかぎり、けっして解決できない。では、どうするか? 解決しようとしないで、そのまま問題をまるのみしていくのである。 その問題について切迫した事態に陥って解決を迫られているなら、その問題自体をなくしてしまうようにしていくより仕方がない。その問題を"問題"でなくしていくより仕方がない。つまり、心理的に成長すること。 天地宇宙あらゆるものを、自分のなかにのみ込んで生きるのである。親も女房も、子供も友人も、貧乏も名誉も、学校も地位も、何もかも自分のなかにのみ込んで生きていくより仕方がない。人間最後は、いっさいをのみ込む器として生きていくより仕方がないのだろう。