「親の期待」にこたえ続けてきたのに、“人生しんどい”のは何故なのか?
周囲の人間がこわくなくなるには
人間は他人の期待などに、終生従えるものではない。人間は他人の期待などにこたえられるものではない。よく、いくじのない若者は「親の期待があるから、それを裏切れないからこうしているのだ」という。 しかし一人の人間が命がけで努力したって、親の期待などにこたえられるものではないのだ。"はえば立て、立てば歩めの親心"というように、親の期待も無限なのである。どこまでいったって、これで終わりなどということはない。 ことに自分の果たせなかった望みを...などという親の期待になど、命をすりへらして一生涯をかけたって、こたえられるものではない。 人間の欲望は無限である。自分がどこまで出世したって満足できないように、また他人にそのようなかたちで期待する人は、どこまでいったって満足しない。 はえば立て、立てば歩め、歩めば小学校の入学式、100番になれば10番に、10番になればクラスで1番に、クラスで1番になれば学校で1番になって近所に自慢して歩きたい。 学校で1番になれば○○名門中学校へ、有名大学、大企業、そしてウチの息子は○○会社ではやくも出世コース、同期で1番...自分の果たせなかった望みを子供に託すような人の期待などには、死んだってこたえられないのである。 息子が息子の道を、責任を持って歩けばそれでいいと思わない親は、死ぬまで息子を苦しめつづけ、また、自分を死ぬまで満足させられない。他人の期待に添いたいなどという人は、おそらく自分の命を捨てて、その人の期待に添おうと努力したことのない人ではないだろうか。 期待された人間は殺される。そして死んでみても、まだ相手を満足させられないのである。自分は死んでもだめなんだ、自分の命ではだめなんだ、と知った時、人間は主体的に生きはじめると思う。 何事でもいい。「ああ、自分は死んでもだめなんだなあ」ということを実感するまでは、人間はだめだ。期待する、期待されるということより、協力し合うということではないだろうか。協力し合うことなしに、一方的に相手に期待をかけるのは殺人者だ。 自分の側の努力なしに相手に期待する人間は、犯罪者だ。協力しない者は、他人に期待する資格がない。 社会に協力しないものは、社会に対して何物も期待してはならない。お互いにお互いを尊重し、手を取り合って協力する──それが本当の人間関係なのである。期待する者と期待される者、この人間関係は犯罪的人間関係だ。人間が期待しうるとすれば、それは協力を期待することだ。一方的な期待は許されない。 しょせん人間が正しく期待されるなどということはあり得ない。過小の期待に悩むか、過大の期待に苦しむか、どちらかである。期待されなさすぎれば情けないし、期待されすぎれば苦しい。 僕は生まれてから今日まで、そのどちらかだった。これからもそのどちらかだろう。過小期待と過大期待とどちらがいいか、などというのは、腹痛と頭痛とどちらがいいか、みたいな質問だ。 人間は、どっちにどうころんでも今より大変になることはない、というところまで追い込まれない限り、迷いからさめない。 "どうなったって今よりは楽だ"──そこまで厳しく追いつめられ、今日、命を奪われるか、あす倒れるか、そこまで追い込まれれば"えーい、どっちにでもしやがれ、殺すんなら殺せ!"とクヨクヨ悩まなくなるだろう。クヨクヨ悩んでいるのは、まだ本当に苦しめられていないからである。 そこで大切なのは、誠心誠意で事にあたるということである。誠心誠意で事にあたらなければ、いつになっても、この"どうにでもしやがれ"という覚悟はできてこない。 自分として、人間として可能な限り誠意を尽くして、なおそこでだめなんだ、ということが判明するまでは、人間はクヨクヨするのかもしれない。他人を恐れるのかもしれない。 広くいえば社会に対し、具体的にいえば学生に対し、肉親に対し、読者に対し、友人に対し、仕事の関係に対し、それぞれの人間が、自分の周囲の人々に誠心誠意尽くしてみて、もはや自分のからだなんかどうなったってかまやしない、病に倒れたっていい... そこまで誠意をもって尽くしてみて、それでなおかつ、自分の周囲の人間に対し期待に添えないとわかった時、命を捨てても、あす死んでみてもだめだとわかった時、はじめて自分の周囲の人間がこわくなくなるのではなかろうか。 【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう) 1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。
加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)