鳥越俊太郎 毛筆で書いた手紙で幾度も思いを伝えた「桶川ストーカー殺人事件」を振り返る
TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。1985年のフジテレビ入社以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。 ▶▶【音声を聴く】「長野智子のテレビなラジオ」 4月30日(火)の配信では、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんがゲストに登場。ここでは4月30日の模様をお届けします。番組「ザ・スクープ」が立ち上がる際に長野に送った「手紙」にまつわるエピソードを振り返りました。
1940年、福岡県生まれの鳥越俊太郎さん。 京都大学を卒業後、毎日新聞社に入社します。サンデー毎日編集部、外信部テヘラン支局を経て、1988年にサンデー毎日編集長に就任。翌1989年に退社後、テレビ朝日系列の報道ドキュメンタリー番組「ザ・スクープ」のメインキャスターを務めます。同番組でメインキャスターを務めた長野とは、2000年から2012年まで共演しました。
◆長野の「ザ・スクープ」キャスター就任は予想外だった?
長野:とても長いお付き合いというか、私にとっては恩師でもいらっしゃる鳥越俊太郎さんです。 鳥越:よろしくお願いします。恩師というのは大袈裟だと思いますけども(笑)。テレビに関しては長野さんが先輩なんだけど、報道番組については僕のほうが先輩でしたね。 長野:報道番組について、あらゆることすべてを教えていただきましたよ。私はそれまでバラエティ番組をやっていましたが、報道の仕事をするのがずっと夢で。夢が叶い、最初の報道番組が鳥越さんの「ザ・スクープ」でした。 鳥越:そうでしたか。僕は新聞でずっと報道をやっておりましたから、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)をはじめ、全部観ていました(笑)。 長野:ぶっちゃけ、私がパートナーだったのはどうでしたか? 鳥越:最初に聞いたときは、正直ビックリしました。だって、長野智子=ひょうきん族じゃないですか。「報道番組には合わないんじゃないの」って話をしたことがあるんですけど、当時のプロデューサーから「彼女は前から報道番組をやりたいと思っていて、1から勉強したいと考えています 。なので、やってみたいのですがどうですか?」と聞かれたんですね。 僕も「それだったら面白いかもしれないね」ということでしたけども、「長野さんには手紙を書きます」とプロデューサーに伝えました。 長野:そうそう(笑)! 脅迫状みたいな圧の強い手紙が来ました(笑)。 鳥越:長い長い手紙を書きましたね(笑)。