鳥越俊太郎 毛筆で書いた手紙で幾度も思いを伝えた「桶川ストーカー殺人事件」を振り返る
◆誠心誠意、気持ちを伝えたいときは手紙を書く
長野:手紙がアメリカに届いたんですよ! 当時私はニューヨークにいて、ちょうど日本に帰る時期でした。ニューヨークに鳥越さんの毛筆で書かれた、一文字が大きい手紙が巻物みたいな状態で来たんです(笑)。私は震えながらそれを持って日本に帰りました。 鳥越:僕はそんなに毛筆で手紙をたくさん書いてきたわけじゃないんですけど、ここ一番って人には書いているんですよ。「桶川ストーカー殺人事件」のときにも手紙を書きました。 長野:桶川ストーカー殺人事件では、猪野詩織さんという犠牲になった方のご両親がマスコミ不信で。鳥越さんはずっと「この事件は警察の対応がおかしい」と言っていたんですね。どうしても取材をしたいという思いで、取材拒否をするご両親に向けて何度も何度も手紙を送ったんですね。 鳥越:それで、弁護士の事務所で会ってもいいという話になりました。放送する前提ではなく、私の気持ちを聞いてください、という話だった。なんとかうまくいけば取材ができるだろうという気持ちもあり、僕はかなり楽天的な人間なものですから、なんとかなるという思いで行ったんです。長野さんについても、周りではお笑いの人だっていう声もあったんですけど、僕はなんとかなるだろうと思っていました。
◆「ザ・スクープ」で守ってほしかった3ヵ条
長野:手紙の内容を簡単に要約すると、「ザ・スクープ」のキャスターとして、これだけはやってくださいという箇条書きがあったんです。「1週間に自分で3本は企画を出すこと」「自分で取材のアポイントメントを取ること」「取材先ではディレクターが書いた言葉ではなく自分で言葉を作ること」と、箇条書きで書いてありました。 鳥越:よく覚えていますねえ(笑)。 長野:「これはえらいことになった」と思いました(笑)。「大丈夫かな、私」と思いながらその手紙を握りしめて日本に帰りました。 鳥越:何ヵ条かあったんだけど、要約するとまず現場に行ってくれと。東京にいて「あーだこーだ」言うんじゃなくて、事件が起きたら事件の現場に行って、現場の人たちの声を聞いてくれと。 そのうえで、新聞やテレビが言っている言葉じゃない、“あなたの言葉”で伝えてくださいと言いました。 長野:そうでしたね。これが私にとって、なんて運がよかったんだろうと思う3ヵ条でした。ただただ東京のスタジオでカッコよくニュース原稿を読むキャスターでスタートしちゃったら、私はこんなに長く報道ができなかったと思います。 あそこで鳥越さんに鍛えられたので、そのおかげで20年報道ができたんだなと思います。最初は鳥越さんのことが本当におっかなかったんですよ(笑)。私が外に行って中継をするときも、私がオタオタしていたら切っちゃうんです。「はい、長野さんどうも」とか言って(笑)。 鳥越:あはは(笑)。フジテレビの長野さんであっても、特別扱いはしないという思いはありましたね。 (「長野智子のテレビなラジオ」より)