大分の時速194キロ死亡事故で「危険運転」認定 懲役8年となった被告人に有利な情状 弁護士が解説
大分市の一般道で2021年、時速194キロで乗用車を運転し右折車と衝突、男性=当時(50)=を死亡させたとして、自動車運転処罰法違反(危険運転致死罪)に問われた男性被告(23、事故時19歳)の裁判員裁判で、大分地裁は28日、同罪の成立を認め懲役8年(求刑懲役12年)を言い渡した。検察側は22年12月、同法違反の過失致死罪から危険運転致死罪へ訴因変更を請求し認められており、危険運転罪の成否が争点だった。全国的に注目を集めた本件について裁判を傍聴した平松まゆき弁護士にQ&A方式で解説してもらった。 【画像】痛ましい「大分の194㌔事故」の状況図 危険運転致死罪として成立した Q 大分地裁で194キロの速度で運転した被告の裁判員裁判が開かれましたね。危険運転致死傷罪について教えてください。 A 平成11年に東名高速で大型トラックが乗用車に突っ込み、2人の幼児が焼死するという大変痛ましい事故が起きたことを記憶されている方も多いと思います。運転手が業務上過失致死傷と道交法違反の罪に問われ、懲役4年となりました。しかし、トラック運転手は飲酒をしていたことから、遺族らの運動によって平成13年に創設されたのが危険運転致死傷罪(自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律)です。過失運転致死罪であれば最長で7年ですが、危険運転致死罪であれば最長で20年と、刑罰がいっきに重くなります。 Q 大分の事件では、当初過失運転致死罪で訴追されたのですよね。 A そうです。しかし遺族らの運動や世論を受けて、と言ってよいと思いますが、検察が危険運転致死罪に訴因変更しました。一般人の感覚からすれば、194キロという速度で県道を走って人を死亡させておきながら「過失」イコール「うっかり」なのか、という疑問がわくのは当然だと思いますが、検察が市民の働きかけによって起訴内容を変更するのは珍しいことだと思います。 Q 裁判では何が争点となったのでしょうか。 A せっかく創設された危険運転致死罪ですが、第2条2号の「制御することが困難な高速度」とは時速何キロをいうのか、運転者の技能、車両の性能基準なのか、本人の度胸等は関係するのか等、適用基準があまりにも不明確という問題がありました。日本は法治国家ですから、刑罰を科すには法律が明確である必要があるという「罪刑法定主義」という憲法上の要請が働きます。そのため、どうしても制限的に解釈する傾向にあり、過去の裁判では4人の命が奪われたにもかかわらず危険運転致死罪の適用が否定される例もありました。 本件でも、検察側は「路面状況から車体に大きな揺れが生じるなどし、ハンドルやブレーキの操作を誤るおそれが高まる」として制御は困難だったと主張したのに対し、弁護側は「直進走行できていて、速度によってハンドルやブレーキの操作を誤ったことで生じた事故ではない」として過失運転致死罪の適用を求めていました。 Q 大分での裁判員裁判の結果はどうなりましたか。 A 実は私もこの裁判の判決を傍聴しました。判決では「制御することが困難な高速度」につき、道路の状況や車両の構造・性能等の客観的状況、ハンドルやブレーキ操作のわずかなミスによって事故を発生させる実質的危険性がある速度での走行との判断基準を示したうえで(令和4年の東京高裁を踏襲)、本件事故現場の具体的な道路状況や加害車両の大きさ、事故発生時間帯等をあてはめて危険運転致死罪を適用しました。法廷で証言したプロのカーレーサーの供述も参考にしていましたね。 Q 懲役8年というのはちょっと軽いような気もします。 A そうですね。被告人に有利な情状としては、被告人が事故現場に献花をするなどして反省の態度を示していることや、訴因変更がなされたために不安定な状態に置かれたこと等を認定していました。ご遺族も8年には納得がいっていないようでした。 ともあれ、法務省の有識者会議では危険運転致死傷罪について具体的な数値基準を示す方向で議論されています。今後の動向が注目されます。 弁護士。大分県別府市出身。12歳のころ「東ハトオールレーズンプリンセスコンテスト」でグランプリを獲得し芸能界入り。17歳の時に「たかが恋よされど恋ね」で歌手デビュー。「世界ふしぎ発見!」のエンディング曲に。20歳で立教大学に入学。芸能活動をやめる。卒業後は一般企業に就職。名古屋大学法科大学院入学。15年司法試験合格。17年大分市で平松法律事務所開設。ハンセン病元患者家族国家賠償訴訟の原告弁護団の1人。
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