小学校の授業から抜け出していた息子が、授業に出るようになったきっかけとは?
不登校になる前に校長先生が居場所を作ってくれた
先生から怒られることの多い息子でしたが、それでも学校を休むことはありませんでした。しかしそんな中、3年生のときに授業から抜け出すことが増えました。 3年生から担任になった先生のことを家で話す息子の様子を見ていると、先生が嫌いなわけではないようでした。また、クラスに苦手な子がいるような話も聞いたことがありませんでした。授業に出ない理由を聞いても、本人もうまく言葉にできない様子でした。 この状況に助け船を出してくれたのは、当時の校長先生でした。「授業に出ないなら校長室においで」と言ってくれて、授業が嫌になると、校長室に行くようになりました。 おおらかに見守ってくださる中、息子は校長室の掃除をしてみたり、パズルをしたりして、落ちついて過ごしていたようです。一時期は学校にいる時間の半分以上は校長室にいたと思います。 担任の先生・校長先生だけでなく、学校の先生方は、親身になって息子のことを考えてくれました。何回か、校長、副校長、担任、カウンセラーの先生が同席する面談の機会を設けてくれて、「いちど発達の検査を受けてみますか?」と、提案を受けたのもその席でした。4年生のときです。 自治体の発達支援センターで当時のWISC-Ⅲ検査 ※を受けた結果、診断名は出ませんでしたが、「注意記憶」の点数が平均点よりも低く、聞いたことを記憶するのが苦手なようでした。ただ、授業に出られないのが、そのせいかどうかはわかりませんでした。 ※5歳0ヶ月~16歳11ヶ月の児童・生徒を対象とした代表的な知能検査
うちの子のいいところは? 得意なことは? 好きなことは?
1年生のときのように、できていないことばかり本人に言っても、良いことは全くないことがわかったので、検査結果も「よくできていること・ほめられたこと」を中心に読んで聞かせました。 それからは、学校の個人面談でも意識して「うちの子のいいところはどこですか?」と聞くようにしました。担任の先生は、授業で息子が出したアイデアや夏休みの旅行記がおもしろかったこと、うまくできたことや、友達の役に立ったことなども具体的なエピソードを交えて、いくつも教えてくれました。そうすると、私もうれしいし、家に帰ってから「先生がこういうふうにほめてたよ」と報告すると、息子もうれしそうでした。 また、校長室のパズルも、最初はうまくできませんでしたが、先生に解き方を教えてもらったら、すぐにできるようになったそうです。先生や友達から「すごい!」とほめられたそうで、家でも同じパズルを買って繰り返しやるようになりました。 忘れ物もあいかわずでしたが、忘れてもなんとかする方法が身についてきたようでした。工作の材料を忘れたときも、友達から少しずつわけてもらって、かえって豪華な作品をつくっていました。だんだんと教室にいることも増え、自分が考えたクイズがクラスのお楽しみ会で採用され、ウケたことなども話してくれるようになりました。