【厩舎のカタチ】〝2つの名門初〟の新人トレーナー ~河嶋宏樹調教師~
一緒に喜び、悔しがれる厩舎をつくるために
経験の蓄積は、厩舎運営にも色濃く反映されている。その例を紹介するために、ノースヒルズ就職直後に時を戻そう。 師が初めて騎乗を任されたのは、超良血の初子。父はサンデーサイレンス、そして母は牧場初のGⅠ馬ファレノプシス。その背に乗るはずが…放馬。「終わった」。だが翌日、馬上にいたのはミスを犯した新人であった。 「失敗するとわかっていても経験を積むため、先輩方はいろいろな挑戦をさせてくれました。その中で〝自分で考えなさい〟と」 担当者、調教・運動を行った者。厩舎全員が感じ考えたことを、コミュニケーションを図る中で共有し、それを土台に馬をつくっていく。番頭の攻め専、牧つばさ調教助手の言葉を借りれば「まだ種をまいている段階で、伸びしろしかない」厩舎。いきなり100点満点は出ずとも、まかれた種にはしっかり水分と栄養が与えられている。 「考える分、若い子は苦労しているかもしれないけど、後々のことを思えばプラスにもなるはずだよ」とはベテラン・柴田佳樹調教助手の声。その〝若い子〟は「先生はいろいろと聞いてきてくださるので、いい意味で頭を使う」和田悠里調教助手や、攻め専の田中肇(はじめ)調教助手。今年トレセン入りした新人の田中助手は、ノースヒルズグループの調教施設・大山ヒルズ出身で、師と〝同門〟でもある。「〝もっとどんどんやってくれても〟と思っていらっしゃるはずで、難しいこともありますがやりがいを感じる環境です」と語る田中助手にも開業3か月後、ちょっとした試練があった。セリのため師が渡米した1週間は、番頭の牧助手も北海道に滞在しており、その留守を任された。それでも助け合いながら無事に、師の帰国を迎えた。早くも多様な役割を担う田中助手。その目に映る河嶋調教師は、かつて師が見た牧場時代の先輩の姿と重なるかもしれない。 そんな新規厩舎の営みは、外からどう見えているのか。「乗り手のフィードバックにしっかり耳を傾けていただいていますし、関わるジョッキーとしてもやりがいを感じます。高いチーム力を持った厩舎です」と教えてくれたのは、〝未勝利のオープン馬〟クラスペディアの主戦・小崎綾也騎手。彼もチームの一員として、個性の立った愛馬と初勝利を目指しGⅠ朝日杯FSに挑む。密にコンタクトを取り、心を開きあった人馬の背中は大きく、そして頼もしく映る。 師が厩舎でもう一つ徹底するのが、〝安全〟である。全馬が必ずしも、ダコールのように末永く現役をまっとうできるわけではない。その一頭がジャックボイス。脚が短くかわいい初の担当馬は、故障により命を落とした。3頭の担当馬が、現役中にこの世を去っており、まずは無事にとの思いがおのずから芽生える。 馬の無事は、人の無事から。ケガをゼロにはできないが、打てる手は尽くす。馬に乗る数は減り、引く数が増えた師は裏方に徹すことで、管理馬の癖やわずかなしぐさにも目を光らせる。そして、手袋やヘルメット等の保護具着用、補助態勢の確保を指導し、自ら率先垂範する。ベテランも多く「定年の65歳をケガなく迎えてもらうのが、自分の役目」。その思いは「厳しいけどやさしい。従業員を守ってくれる」(辻隆幸厩務員)と、確実に受け止められている。 〝2つの初〟と大きな期待を背負う新人調教師。目標は尽きぬが、道のりに思いを巡らせた末、理想の厩舎像について、あるエピソードを話してくれた。 それはトレセン人生の初陣を戦った〝ジョー〟の冠を継ぐ上田江吏子氏の愛馬、ジョータルマエが10月に1勝クラスを勝った時のこと。開業前から「あの時の新人のコ」と覚えていてくれたオーナーはこの日、不在だったが写真の送付依頼があったため「みんなでピースしておきます」と、スタッフと鞍上の――師が「厩舎の生命線」と信頼を寄せる――鮫島良太騎手と口取り写真でサインをつくった。翌週オーナーが開いてくれた祝勝会は、数日前に開催を伝えたにもかかわらず、スタッフ全員集合の大盛り上がり。「みんな酒が飲みたかっただけですよ」。その謙遜の言葉にだけ、私は首を大きく横に振る。 どんな舞台であっても、歓喜のウイナーズサークルを目指して――。 「勝ってみんなで喜べる馬をつくっていきたいですし、一緒に喜び、一緒に悔しがりたい。それこそクラスペディアが小倉2歳Sで2着した時も、悔しそうに帰ってくる(小崎)綾也と担当者を見て、言い方は正しくないかもしれませんが〝ありがたいな〟と思いました。その中で最終的に喜び合いたいです。それが、今の目標ですね」 河嶋厩舎はまだ、カラーもカタチもおぼろげなのかもしれない。それでも、時間とともに、経験とともに、馬とともに、人とともに…。芽が出て彩られた先には、満ちあふれる笑みと次なる〝初〟が待っているような気がしてならない。 【プロフィール】 河嶋宏樹(かわしま・ひろき)1984年10月24日生まれ、兵庫県出身。2003年に公益財団法人軽種馬育成調教センター(BTC)の育成調教技術者養成研修第期生として入講。研修修了後、ノースヒルズマネジメント(現ノースヒルズ)に就職。JRA競馬学校厩務員課程を経て、2008年に中竹和也厩舎からトレセンでのキャリアをスタートさせた。同厩舎の厩務員、調教助手を経て、2023年度調教師試験に合格し、翌24年に厩舎を開業。JRA通算196戦7勝(12月8日終了時点)。
和田 慎司