「現代サッカーはあまりにも“平均的”で退屈で、もうハイライトで十分かもしれない」【特別寄稿】
5人交代制の功罪
もう一つ忘れてはいけないのが、新型コロナウイルスのパンデミックから選手の交代枠が3つから5つに増えたことである。新型コロナの感染者に苦しみつつ、過密日程をこなしていくチームの救済策として導入された5人交代制は、じつはフットボールを根本から変えるものだった。 フィールドプレーヤーの半分を交代できれば、チームの総力戦(陣容の厚さ勝負)となることは不可避である。加えて、90分を通して全力でプレスを仕掛けられるようになったことで、スタミナ配分の駆け引きや、攻撃の選手が個人技を見せるスペースと余裕も失われた。私たちは前線からプレスをかけ続ける、まるで手錠をかけられているような息苦しい試合ばかりを目にしている。……5人交代制がなければ、今ある過密日程を乗り越えるのは難しい? むしろ金のことしか考えていない組織の連中は、5人交代制でできた余裕の分だけ試合を詰め込もうとしているように思えるのだが。 5人交代制は試合の見どころを増やすと思われたが、蓋を開けてみればフィジカル的なフットボールを増長させ(あれだけのスピードで、時間とスペースがない中でプレーすればテクニックはどうしても犠牲になる)、堅守速攻やポゼッションといった各クラブのプレースタイルをなくし、監督の影響力をさらに増大させた。私たちは監督が介入し続け、2チーム合計で32選手がプレーする試合を目にしている。ピッチ上はもはや何かが自然発生する場ではなく、監督の頭の中そのものなのかもしれない(ラ・リーガでは2強+アトレティコ・デ・マドリーとその他のクラブの戦力格差も進んでおり、入れ替わり立ち替わりプレーする中小チームの選手たちのことまではもう覚えられない……そんな意見もよく聞くようになった)。
“未来のフットボール”
どこかのチームの名前を言われれば、そのプレースタイルとスタメンの11人の名前と顔と特徴が即座に浮かび上がる……。別に、そんなノスタルジーに浸りたいわけではないのだが、しかし現代フットボールは均質化があまりに進み、ハイライトだけを見れば済むような退屈なものに変貌を遂げてしまったような印象がある。 パリ・サンジェルマン指揮官のルイス・エンリケは、『モビスタール・プルス』が放送した彼のドキュメンタリーで、こんなことを語っていた。 「“未来のフットボール”では、監督が上(スタンド)にいて、ヘッドセットですべてをコントロールするんだ。試合をモニターを通して見ながら、選手に直接『ルーカス、中に絞れ。このフェーズでは絞るんだ』と指示をしながらね。私にとっては素晴らしいことだ。たとえ選手たちのことを殺すとしてもね」 「ヘッドセットで通信するほか、電気で痛みを与えられるなら完璧だ。プレッシングに行かないで楽していれば、スイッチを入れて電気を流し、前に走らせるんだよ」 彼の描く“未来のフットボール”では、選手たちはロボットのように生産されているのだろう。いや、チェルシーの様子を見ていると、その未来はもう訪れているのかもしれない。 たとえ私たちが目にしたいのが、ヘッドセットで指示する監督の声が聞こえてくるイヤホンを外し、地面に叩きつける選手であるとしても。