「恵子ちゃん、お帰りなさい」社長初日に迎えた声 フジワラテクノアート・藤原恵子社長
■主婦が突然、社長に社員全員の話を聞き「働きやすい職場」へ 年末が近づいて、父に「そろそろ帰れ」と言われて帰郷すると、「あなたが社長を継ぐのが一番いい」と言われる。名刺もできていて「仕方ない」と思って5代目社長へ就任を決める。 大学を出て半年で結婚。ずっと専業主婦で、会社の仕事の経験は、1日もない。その主婦が突然、社長になる。では何ができるかというと、妻として母として得た経験を、社員たちの暮らしに活かせたらいい。営業も技術も分からなくてもできるのは「働きやすい職場」づくり。それが、自分流の社長の姿だ。最初に、そう思った。 後になって分かったが、父に自分の社長就任を勧めたのは、母だった。母も家族のような会社の姿が大好きで「恵子なら、それを守ってくれるだろう」と思ったらしい。子どものころから暮らしのなかにあった「家族のような会社」が、藤原恵子さんのビジネスパーソンとしての『源流』だった。 最初に約120人いた社員と1人ずつ、何日もかけて面談した。いまの時代なら個人情報の話はしないだろうと思うが、みんな、悩みや家庭の事情を言ってくれた。そのとき聞いた話は全部、頭に残っている。 なかに、会社で取っている仕出し弁当が嫌だ、と言う人がいた。理由を聞くと「揚げ物が多くて、お腹をこわしそうだ」と言う。会社の周辺に、食べに出る店がない。社内に食堂と台所があったので、それを活かそうと思い、いろいろ例をみにいって、社員食堂をつくった。 次に、全社員にインフルエンザのワクチンを打ってもらうことにした。まだ冬で驚くほどインフルエンザで休むので、「これでは客はもちろん、同僚にも家族にも迷惑をかける」と決めて、費用は会社が出した。 「働きやすい職場」は、自分の生活のなかから「ああしたほうがいい」「こうしたほうがいいな」ということで考えた。それが、自分の強みだ。普通のトップならそんなことは二の次で、いくら儲かったかと数字を追うことに懸命だろう。でも、『源流』からの流れは水が澄んで、いろいろなことがみえていた。 ■6代続く女系家族で父の問いに頷いた祖母が願った婿取り 藤原家は自分の代まで6代続いて娘だけで、祖父も父も養子に入った。あるとき、父が妹と2人に「どちらが婿をとって後を継ぐか」と問いかけ、妹は嫌だと言い、自分が「はい」と頷いた。かわいがってくれた祖母のチヨさんに、小さいころから「恵子ちゃんは婿さんをもらって会社を継ぐのよ」と言われ続け、「そういうものだ」と思っていて、その願いに応じた。