石田ひかり「本当に売れなくて辞めようかと思いました」アイドル歌手としては鳴かず飛ばずだったデビュー当時
アイドル歌手としてデビュー
母親は当時、神戸に単身赴任中だった父親には報告していなかったが、石田さんがスイミング教室に行っているあいだにも度々事務所からの電話はかかってきた。そこで母親は、直接会ってお断りしようと六本木にある芸能事務所を訪ねたという。 「その事務所は、母が抱いていた芸能界の華やいだイメージとは180度違っていたんです。小さいマンションで、スタッフの方もとてもまじめに働いていたそうで、芸能プロダクションというのは、こんなに地味なんだと。その姿を見て、自分の娘たちにそんな才能があるとは思えないけれども、この方たちだったら任せても良いのかもしれない……と母の気持ちが変わったんですよね」 それからしばらくして、母親から「本当にやる気があるんだったら、ちょっと考えてみる?」と言われたそうだ。 「ただ、母からはいくつかの条件が出されました。絶対に学校は休まない、スイミングも休まない、大学まで行く、始めたからには続ける、というものでした。学業に支障のない範囲で、週末や放課後にオーディションを受けに行く……というところからのスタートでした」 俳優としては1986年にドラマで初出演を果たし、その翌年の87年5月、中学3年生の時に『エメラルドの砂』という曲でアイドル歌手としてデビューした。しかしアイドルとしての活動は順風満帆というわけにはいかなかった。 「本当に売れなくて辞めようかと思いました。むしろ、辞めたくて仕方がなかったんです。あの時の私には惨めで恥ずかしいという気持ちしかありませんでした。でも、だからといって辞めるなんて言い出せず、辞めるという選択肢があることに気付きませんでした。全く売れなかったんですけど、当時は次から次へと3か月に一枚はシングルを出す時代でした。だから新曲が出るころにはもう次のレコーディングをしていました。それで、私も“コレ売れないかもしれないのに、いつまでやるのかな(笑)”って疑問に思っていたくらいでした」 そんな石田さんにとって、18歳の高校3年生の夏休みに大きな転機が訪れた──。 石田ひかり(いしだ・ひかり) 1972年5月25日、東京都生まれ。A型。T160。1986年、ドラマで俳優デビュー。1987年、シングル『エメラルドの砂』でアイドル歌手としてデビューを果たす。1991年に公開された主演映画『ふたり』で「第34回ブルーリボン賞」をはじめとする多くの新人賞を受賞。以降、多くの映画やドラマを中心に活躍。最近作に『九十歳。何がめでたい』、『ブルーピリオド』などの映画や『あの子の子ども』、『全領域異常解決室』などのドラマがある。公開待機作に映画『366日』(2025年1月10日公開)がある。 鈴木一俊
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