東大発医療スタートアップ「Provigate」関水康伸CEOインタビュー(下):日本のスタートアップが活かせる「モノ作りの遺産」と地政学的な追い風
日本にとっては今後10年が勝負
さきほどAIに言及しましたが、日本はAIそのものの開発ではたしかにアメリカや中国の後塵を拝しています。ただ、私はAIの社会実装には3つの要素が必要だと考えていて、勝手に「三種の神器」と呼んでいます。すなわち、センサー、計算機、アクチュエータの3点セットです。自動車の自動運転でいえば、センサーで道路や障害物を感知して、計算機(=AI)で次の行動を考えて、アクチュエータが実際にハンドルやアクセルをコントロールする。ヘルスケアも同じように、まずバイオセンシングがあって、その情報をAIで処理(=診断)して、最後に薬の処方や手術などが行われる。そこまでがセットです。医療の世界では、最初の段階で必要になるセンサーを持ってないとそもそもデータが得られない。その点で日本はすごくいい立ち位置にいます。 AI時代になろうとも、アナログなモノ作りはまだまだ難しい。センサー1個作るにしても、高性能のAIがあれば高性能なセンサーのレシピが一瞬で出てくるかといったら、出てこない。センサーの表面に製膜する際の装置の動く速さ、空気中の湿度や温度、化学反応のスピード、計測機器のコンディショニング。考えるべき要素が無限にある中で、それらを全部コンピュータの中に再現できれば可能かもしれないですが、莫大な計算機資源と電力が必要です。精密な技術を持った職人による試行錯誤のほうが、当面はずっと早いのです。そういった職人技は、簡単に真似できるものではありません。 AIブームの中で、今や最も企業価値が大きい会社の一つは半導体メーカーであるNVIDIAですよね。GoogleやMetaのような巨大IT企業も結局は広告屋さんで、センサーも計算機もアクチュエータも誰かが作らないといけない。そのモノ作りの下地が残っているという意味で、日本にはまだまだ戦いようがあると思います。最近まで、深圳のモノ作りはすごい、製造業はもう全部中国でやってしまえばいい、などと極端なことを言う人がいました。実際、モジュール化されたものの大量生産では中国は世界トップです。すでに求められる性能が決まっていて、「誰が作っても同じ」ようなモノ作りに関しては、中国は強い。ただ、完成品に至る前段階での精密な試作品、あるいはまったく新しい素材などは、日本の方がまだまだ優れています。ハイテクものづくり産業においては、試作品を小規模量産し、高速で試行錯誤を繰り返す必要があります。それには設計から様々な特殊加工の事業者の連携などが必要で、設備と技術者の厚みが必要です。日本は歴史的にそれができる国なのです。少なくとも、まだあと10年は。 高度経済成長期からバブル崩壊前後ぐらいまでは、日本の中央研究所がとても強かった時代でした。しかしその後、選択と集中・オープンイノベーションのお題目のもとに日本の中央研究所は力を失いました。その頃に研究開発費を湯水のように使えた日本の研究者たちは、世界的に見ても一騎当千の人材です。ただ、そういう人たちもすでに60歳前後になっていて、今はまだ第一線で働けるものの、あと10年後にはわかりません。後継者もなかなか育っていません。一騎当千のベテラン技術者がいなくなったら、モノ作りにおける日本のリードも失われる可能性がある。やはりこの10年が勝負で、ここで欧米を表面的になぞらえた「選択と集中」をしてしまうと勝機はなくなるでしょう。日本のユニークネスに根差した競争戦略が必要です。 日本の田舎に行くと、田んぼの中にいきなり立派な工場がドーンと建っていたりします。フラットパネルディスプレイなどはすでに韓国などに全部持っていかれてシェアを失いましたが、かつて隆盛を極めた大手電機の孫請会社が、田舎に生産設備を残していたりする。その中には、もうとっくに減価償却されてバランスシート上は1円になっているものの、実物を見るときれいに整備された20年モノの機械設備があったりします。常にピカピカに磨かれていて、それを扱える55歳くらいの腕利きの職人もいて、丁寧にモノ作りを続けている。彼らも生き残るために必死で新規事業を考えています。 そういう有形無形のアセットに加えて、おそらく地政学的な変化も追い風になる。さきほども医療スタートアップにはデータが不可欠だとお話ししましたが、日本人はアメリカ人などと比べると遺伝的な多様性が低いこともあり、医学的・統計的に綺麗なデータを取りやすい。政治的に西側寄りで、国民皆保険という仕組みがあって、性格も割ときちんとしている人が多い。データ収集の面では今後も欧米と中国のデカップリングが進むでしょうから、そういった状況下での日本の立ち位置、ユニークネスを生かした産業を考えていくべきだと思います。