「女将になる道を避けてきた」売り上げ昨対比70%割れ 京都料亭・和久傳を全国ブランドにした“逃げ腰”女将の「チームづくり」
権限と責任を思い切って渡し、失敗したらそこで見直しました。誰かの判断を仰いで動くことを何年続けても、それぞれの経験として積み上がっていかないと考えたからです。「トライ&エラーを通してチームがチームとして学んでいく」ことを大切にしました。 あるとき来店した脳外科医が話してくれた経験談にも背を押されました。その人は、師匠だった名医のような手術ができないと悩んでいたそうですが、あるとき「苦手なところと強みが一致する」と気づいたそうです。「自分が苦手だと思っているところに自分らしさや強みがある」と話してくれました。 表に立つことには苦手意識があっても、「裏方思考」を生かしてチームづくりをすればいい。強力なリーダーが一人で引っ張る代わりに、何に力を入れたらいいのかを考えよう。そうこうするうちに不思議とお客さんが増えていきました。女将就任の年に昨対比70%を割っていた売り上げは、その翌年、昨々対比130%になりました。
去っていった料理人も…
もっとも、すんなりいったことばかりではありません。桑村さんはある店舗の料理長に若い人を抜擢しようとしましたが、上司の料理長に反対されました。 「どうしてもそうしたいなら、そうしてください。でも、僕は辞めさせてもらいます」 ここを突破できたらフラットな組織になるだろうと思いつつも、母の代から店を支えてくれたベテランの意見をむげにはできません。3年ほど待ちましたが、彼の気持ちは変わりませんでした。桑村さんが「それなら仕方がないです」と伝えたところ、この料理長は店を去りました。 桑村「当時いた料理人たちが一緒に辞めてもおかしくなかったけれど、残ってくれたんです。その恩義を感じて、この人たちがどうしたら『和久傳に残ってよかった』と思ってくれるかと考えました。そうしたら、独立を応援することやと思ったんです」
こうして和久傳は人を育て、“卒業”を後押しする組織へと変わっていったのです。 取材・文:山本奈朱香 撮影:松村シナ 編集:鈴木毅(POWER NEWS) デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)