「女将になる道を避けてきた」売り上げ昨対比70%割れ 京都料亭・和久傳を全国ブランドにした“逃げ腰”女将の「チームづくり」
京都の高級料亭として知られる高台寺和久傳(京都市東山区)は、1870(明治3)年に京都の中心部から約100キロ北西にある丹後・峰山町(現・京丹後市)で料理旅館として創業しました。1982年に京都市内へ進出すると、2店舗目、3店舗目を開き、東京にも出店。料亭の味を「おもたせ」として販売する事業などを成功させてきました。 いまや全国区のブランドとなった和久傳は、人を育てて独立を応援する姿勢をつらぬき、和久傳出身の料理人はあちこちで活躍しています。 高台寺和久傳の女将(おかみ)であり、株式会社「高台寺和久傳」(京都市東山区)の代表も務める桑村祐子さんは、人前に出るのが苦手で、ずっと女将になる道を避けていたといいます。さまざまな挫折を経て、「チームづくり」を大切に考えてきたという桑村さんに、歩んできた道のりや、大切にしている経営哲学などを聞かせてもらいました。
【桑村祐子(くわむら・ゆうこ)】 1964年、京都府峰山町(現・京丹後市)生まれ。 大学卒業後に大徳寺の塔頭に住み込んで修行した後、1989年に高台寺和久傳に入社。 2007年に高台寺和久傳の女将、2012年に代表取締役に就任。 2024年に食品の製造販売をする(株)紫野和久傳と、料亭の高台寺和久傳など数店舗を運営する(株)高台寺和久傳、両社の代表取締役に就任。
斜陽の家業の再起をかけた挑戦
観光客でにぎわう京都・高台寺の近くにある「高台寺和久傳」。店舗前の石段には水が打たれ、凛とした空気が漂います。取材のため訪れたのは、まだ寒さの残る春先。なかなか訪れる機会がない名代の料亭に少し緊張して門をくぐりましたが、通された部屋に入ると気持ちがふっとゆるみました。 ほどよく暖められた部屋、ふわりとたゆたうお香のかおり。スタッフの人たちの物腰は丁寧なのに距離を感じさせず、くつろいだ気持ちになります。紅梅色の着物姿の桑村祐子さんが笑顔とともに部屋に入ってくると、さらに明るい雰囲気になりました。 桑村さんが生まれたのは京都市の中心部から100キロほど北西にある丹後・峰山町(現・京丹後市)。海も山も近く、自然の恵みに囲まれて育ちました。そのころ、桑村さんの両親は京丹後で料理旅館「和久傳」を経営していました。