町田・黒田監督「激動のシーズン」J1初昇格で3位の舞台裏に迫る 一時睡眠導入剤服用も
町田がJ1初昇格チームの最高となる3位で今季を終えた。史上初の初昇格優勝を逃したが、青森山田高を計7度の日本一に導いた黒田剛監督(54)はプロに舞台を移しても、その手腕を証明。就任からわずか2年でJ2の15位だったクラブを、J1最終節まで優勝争いを演じるほどに大きく躍進させた。ただ、全てが順風満帆ではなく、一時は睡眠導入剤を服用するほど不安に襲われていた時期もあった。激動のシーズンを戦った指揮官の舞台裏に迫る。 就任1年目から順調に勝利を重ねてきた黒田監督にとって初めてぶつかった大きな壁だった。シーズンがヤマ場に入った9月21日の札幌戦から5試合未勝利。前半戦首位で折り返した夏場までの快進撃は影を潜め、11月3日には、すでに降格が決まっていた最下位の鳥栖に1-2で痛恨の敗戦を喫した。 「プロになって初めての5戦勝ちなしというシチュエーションだった。最初からこういう経験をされている監督さんがいっぱいいるにせよ、いざ自分に降りかかるとすごい不安で、このときはなかなか寝付けなかった」 同期間中に睡眠導入剤を飲み始めるほど、頭の中が不安でいっぱいになった。夜中に用を足そうと目覚めると、気付いたらトイレで次の試合について思案。朝起きると寝不足で悪循環に陥った。 鳥栖戦後、指揮官は帰りのバスで、ある決断をした。従来の4バックから3バックへのシステム変更だ。「違うことに挑戦して、振り切ってやっていく方が相手に対する脅威を与えられる」と、残り3試合で賭けに出た。試合1週間前からの練習を全て非公開に切り替え、入念に準備。すると、好調時の積極性がよみがえりFC東京に3-0と快勝した。 約2カ月ぶりの勝利に黒田監督は安堵(あんど)の表情を浮かべた。「肩の荷が下りたというか、今までの苦労が解放された瞬間だった」。完勝に選手らの迷いもなくなり、全体の気概を取り戻す。勢いのまま次戦の京都も退け、逆転優勝に望みをつなげた。最終節で力尽きるも、試合後の会見で「3位フィニッシュできたことはすばらしいこと」と話した指揮官の表情は、どこかスッキリしたように映った。 指導者として高校→プロと進む異例のルートに挑戦。当初は懐疑的な声もあがったが、堂々たる結果で手腕を証明してみせた。「約30年青森山田でやってきたことが通用するなと、そう思えた」。最初は高校生と大人の反応のギャップに戸惑いもあった。 それでも自らの経験を信じ、ベテランや実績ある選手に対しても遠慮することなく厳しく指導。昨季のJ2MVPで30歳のFWエリキは「常に厳しい要求をされるけど、自分が成長するためのものだと思って謙虚に受け止めている。忖度(そんたく)なく、みんなにアプローチできることはすばらしい」と信頼を口にしていた。 ホップ、ステップと大股で進み、来季はジャンプの3年目。今季届かなかった頂点をつかみにいく。「まだまだ心技体全てにおいて、もう一回り成長しないといけない。強い町田として、来年もう1回チャレンジしていきたい」と指揮官。苦難を乗り越え、一皮むけた名将が町田を常勝軍団へと進化させる。(デイリースポーツ・松田和城) ◇黒田 剛(くろだ・ごう)1970年5月26日、札幌市出身。友人の誘いをきっかけに、小学3年の冬からサッカーを始めた。登別大谷(現北海道大谷室蘭)高から大体大へ進学。93年から星野リゾートでコーチを務めながら、ホテルマンとして勤務した。94年から青森山田高でコーチを務め、翌年監督に就任。全国高校選手権に26回連続出場し、3度の日本一を達成した。高円宮杯U-18プレミアリーグ、インターハイもそれぞれ2度制覇。22年に退任するまでMF柴崎岳、MF松木玖生ら多くのプロ選手を輩出した。座右の銘は「百戦百打 一瞬の心」。