直木賞を受賞した一穂ミチさんの話題作「恋とか愛とかやさしさなら」、婚約者が盗撮したら…
第171回直木賞を受賞した一穂ミチさんの受賞後初の小説『恋とか愛とかやさしさなら』(小学館)が話題を呼んでいる。恋人が盗撮で捕まるという主人公のカップルが直面する試練は、現代を生きる全ての人に自分の立ち位置をリアルに問うものでもある。読めば必ず、誰かと話したくなる。(編集委員 西田朋子)
カメラの仕事をしている新夏(にいか)と会社員の啓久(ひらく)は、ともに30歳の幸せなカップル。新夏がプロポーズを承諾した翌日、啓久が駅で女子高生のスカートの中をスマホで盗撮して捕まる。
「粗筋だけで、結論が出るかもしれないけれど」と一穂さん。ただ、想像してみてほしい。性格や趣味の相性がぴったりで、大企業に勤め、実家も裕福。そんな相手であったなら。
「盤石と思われたものに大きなひびが入った時に、自分の恋愛感情とどう向き合えるのか」を描きたかったという。新夏の視点で描く前編(表題作)と、啓久の視点で後日を描く後編からなる。文芸誌に掲載した短編を、2人の気持ちを丹念に掘り下げて大幅加筆した。
彼を信じたい、そのために理由を知りたいと願う新夏に、啓久は「もうやらない、コスパが悪い」と話す。初犯かつ示談成立で逮捕はされず、彼の両親はなかったことにしたい。一方、彼の姉は性加害を許せない。新夏の女友達は、別れるのはもったいない、「愛情って総合的判断のことでしょ」とドライに言い切る。
コスパ、スペックといった現代用語の味気なさに戸惑う。そこには「お金や時間を無駄にできない、失敗できないという、今の時代の切実さがあると思う。若い人たちの貧しさとも無関係ではない」と一穂さんはみる。
盗撮の理由を問われ、啓久は「見たかったから」としか答えられない。
被害者の莉子は、罰を決められるなら「死刑か去勢」と即答する。彼女の両親は、娘の性的な香りのする画像をSNSに上げて収入を得ている。事件もおいしいネタでしかない。
若い女性は無遠慮な視線にさらされている。新夏もカメラ教室の参加者につきまとわれ、恐怖と屈辱を味わう。対象にレンズを向けること、シャッターを押して「世界を切り取る」行為にも、迷いが生じていく。