日本が捨てた毒ガス兵器で寝たきりに「震えが止まらない」「助けて」怒り苦しむ中国人女性の涙 #戦争の記憶
王成さん 「当時、私は22歳でした。毒ガスのせいで人生の一番いい時期を無茶苦茶にされたのです。友達も離れていきました。二度とこのようなことが起きないようにしてほしいのです。私たちのような被害者がもう生まれないように、そして、中国にはまだ私のような被害者がいることを日本のみなさんに知ってほしいのです」
裁判では敗訴 続く被害者の苦しみ「私たちを助けて」
被害にあってから20年以上たった今も寝たきりの生活を送る于景芝さん。2人の子どもは中国南部に出稼ぎに行き、生活費や治療費を送ってくれますが、とても足りないといいます。 于景芝さん 「日本政府はひどすぎます。入院して治療したいのにお金がありません。せめて治療させてください。もう苦しすぎるのです。私たちを助けて」 毒ガスによって健康被害を受けた人たちは日本政府に対し、損害賠償を求める裁判を日本で何回かにわたり起こしました。今回お話を聞いた3人も中国政府が認定した毒ガス被害者として裁判にかかわっています。裁判では「毒ガス兵器は旧日本軍が遺棄したもの」と認め、「兵器の遺棄は違法であり、日本政府は住民に危険が及ぶことは予見できた」としたものの、2014年、日本政府の賠償責任を認めない判決が日本の最高裁判所で確定しました。ただ、裁判とは別に日本政府は3億円を被害者に支払うことで中国政府と合意しています。 于景芝さん 「毒ガスさえなければ私の人生はこんなことにならなかった。怒りを感じています」 終戦から79年。しかし、彼らの中でまだ戦争は終わっていないのです。
取材を終えて
戦争の被害者は、また加害者でもある。今、世界各地で起きている戦争でも、普通の市民が兵士となって他国を侵略し、人を殺す。一方である日突然、自分が暮らしている街が戦場になる。戦争で人は被害者にもなるし、加害者にもなる。 日本もまた、79年前の戦争では被害者でもあり、加害者でもあった。広島や長崎、沖縄だけでなく、全国の都市が狙われた空襲などで多くの市民の命が失われた。満州からの引き揚げやシベリア抑留などもまた、被害の歴史である。一方で日本は朝鮮や台湾などを植民地にし、中国をはじめアジアの国々を侵略した。その過程で日本の市民が兵士となり、アジア諸国で多くの命を奪ったのも、また事実である。 時に私たちはこうした「加害の歴史」を忘れがちである。 旧日本軍が残した毒ガス兵器が、現代を生きる中国の人々を苦しめている。これもまた、日本が向き合わなくてはならない「加害の歴史」である。中国の大地に残された毒ガス兵器は40万発以上。1日も早く処理を終わらせるとともに、今も苦しむ被害者たちに何かできることはないのか。被害者たちのまなざしは、現代に続く「戦争責任」を問いかけている。 ※この記事は、TBSテレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画です