日本が捨てた毒ガス兵器で寝たきりに「震えが止まらない」「助けて」怒り苦しむ中国人女性の涙 #戦争の記憶
楊樹茂さん 「毒ガスは私と家族の人生をめちゃくちゃにしました。この辛さはなんとも表現しようがありません。でも、辛くても生きていくしかないんです」 ゴミ拾いをして生活を支えてくれた両親は亡くなり、現在一人暮らしの楊さん。ガスも通っていない小さな家の台所には、自炊用の白菜と小さな大根が転がっていました。
中国全土に40万発・・・日中で合意も進まぬ毒ガス兵器の処理
中国政府によりますと、旧日本軍によって遺棄された毒ガス兵器の被害者は2000人に上ります。1997年に化学兵器禁止条約で日本に対し、遺棄化学兵器の回収が義務付けられました。これを受け日本政府は中国国内に処理施設を作り、毒ガス兵器の発掘、処理作業を開始。これまで9万発余りを回収しましたが今もなお40万発以上が埋まっているとされています。 日本政府は2027年までに遺棄化学兵器の廃棄を完了するとしていますが、新型コロナウイルスの感染拡大で事業が中断したこともあり、そのめどはたっていません。 中国外務省の林剣(りん・けん)報道官は7月30日、遺棄化学兵器について「今日に至るまで中国人民の生命と財産、環境の安全に深刻な脅威となっており、廃棄は日本側の逃れることができない責任である。廃棄プロセスを加速させるよう強く求める」と主張しています。 リサイクル業を営む王成(おう・せい)さん(43)は、2003年、仕事で土の中に埋まっていたドラム缶を運んでいるときに毒ガスの被害にあいました。 王成さん 「ドラム缶の中身が何かは知りませんでした。油かと思ったんです。匂いがきつくて、油が腐っているのかと思いました」 ドラム缶は腐食し、穴が開いていました。ゴム手袋をしていましたが手には火傷のような症状がでました。吐き気がして目が赤くなり、お酒を飲んだ時のようにふらふらしたといいます。軍の病院に運ばれ、初めてドラム缶の中身が毒ガスだと知らされました。 王成さん 「チチハルに毒ガス兵器が埋められているなんて聞いたことがなかったです。自分が毒ガスの被害者になったと聞いてとても落ち込みました。完治しないだろうと思ったから」 毒ガスの影響で気管支炎を患い、少し歩いただけでも息が切れるといいます。体力が落ち、重いものが持てなくなりました。リサイクル業の仕事ができなくなったことから収入を失い、妻とも離婚せざるをえませんでした。弟が生活を支えてくれていますが17歳になる長男には経済的に苦しい思いをさせてすまないという気持ちでいっぱいだといいます。 王成さん 「息子の友達は、両親にどこかに遊びに連れて行ってもらったり、いい学校に通わせてもらったりしているのに、私は何もしてやれない。むしろ『父親は毒ガスの被害者だ』と陰口を言われ、友達が離れていく。少しでも息子のために何かしてあげたいのですが」