夫婦同姓は日本の伝統といえるのか…昔は保守派が「夫婦同姓」に反対していたのに今は固執するワケ
■皇族が姓をもたない理由 なぜ皇族には姓がないのだろうか。 簡単に言ってしまえば、それは天皇が姓や苗字を授ける側だからである。一般の国民が、皆、苗字をもつようになったのは、明治4(1871)年に戸籍法が制定されてからである。江戸時代になると、庶民でも家が重要なものとなり、「屋号」が用いられるようになるが、苗字はなかった。 こうした姓名、苗字にかんする制度というのは複雑で、時代によっても大きく変わってきたので、その説明は難しいが、古来、天皇は臣下に対して姓を与える立場にあったのだ。 それは、「臣籍降下」という場面において、もっとも明確になる。 そこには皇位継承者を確保するという問題もからんでくるのだが、天皇に多くの皇子がいると、皇位継承をめぐって争いが起こる可能性が増大する。そこで、皇位継承の可能性が低い皇子は出家し、仏門に入ることにもなるのだが、もう一つの手段が臣籍降下である。皇族の身分を離れることになり、その際に、それまでなかった姓を与えられるようになる。 臣籍降下した人間に与えられた姓の代表が「源氏」である。それは、平安時代の第52代嵯峨天皇のときからはじまる。その際に源の姓を与えられた者は、「嵯峨源氏」と呼ばれた。 ■昔の保守派は夫婦同姓に反対していた 逆に、天皇よりも権威のある存在はないわけで、だからこそ天皇にも皇族にも姓がないのである。 彬子女王が結婚したとしたら、戸籍や住民票ができ、国民健康保険にも加入できるが、姓については夫のものを名乗るしかない。一般の国民なら、夫の姓ではなく、妻の姓を名乗ることもできるが、旧姓が存在しない皇族は選択的夫婦別姓制度の恩恵は決して受けられないのである。 今の保守派は、選択的夫婦別姓制度の導入に強く反対しているわけだが、実は、昔の保守派はむしろ夫婦同姓に反対し、夫婦別姓にこだわっていた。そのことは、最近刊行された尾脇秀和『女の氏名誕生』(ちくま新書)を読んでみると、よくわかる。この本では、とくに江戸時代以降の女性の氏名の変遷について詳しく述べられており、随所で興味深い事実が指摘されている。 たとえば、江戸時代後期、女性の名前は、「つる」や「とみ」などほとんどが平仮名2文字だった。日常の暮らしでは、そこに「お」という字がつけられ、「おつる」や「おとみ」と呼ばれたのだが、手紙や証文で名前を記す場合には、ほとんどが「つる」や「とみ」と「お」をつけなかった。 ただし、宛名となると「おつる殿」と、敬称の「殿」をつけたうえに、「お」もつけていた。そうなると、「お」が名前の一部なのか、接頭語なのかが問題にもなってくるのだが、尾脇氏は、どちらも正解だと述べている。 今の感覚では、「お」の正体を説明することが意外と難しいのだ。