死ぬことを「人間をやめただけ」と表現した谷川俊太郎さん 私たちに寄り添い続けたその言葉をたしかめる(女優・南沢奈央)
いま生きているということ
創作のアイディアやインスピレーションは「下からくる」――。詩人の谷川俊太郎さんがある対談で話されていた。人間は歩いているんだから、下からだ、と。それがどういう感覚かというと、「植物が土のなかに根をはりめぐらせ、養分を吸い上げるイメージ」。“上からおりてくる”よりも、なるほどあるかもしれない……と妙に納得した。 先月、谷川俊太郎さんは92歳で天国へと旅立たれた。そんな時に読んだ、谷川さんの「詩人の死」という一篇は特別な響きを持っていた。 〈あなたはもういない〉という一行から始まるこの詩。特に印象的だった三行がある。 あなたを読むことができる 否定することもできる でももう傷つけることができない 詩という作品は遺っている。だからいつだってわたしたちは読める。作品に対して“否定”もできる。でもその人に対しては直接何か作用することはもうできない。それを、“もう喜ばせることができない”とかではなくて、“もう傷つけることができない”と表現する味わい深さ……。別に傷つけたいわけではなくて、でももうできないのだとしたら、ここにいない人の作品を否定する必要もないのでは、という提言のようにも感じられた。切ない印象も受けるけれど、それを包み込むようにあたたかさがしっかりとあるのだ。
この「詩人の死」と出会ったのは、谷川さんが亡くなった直後に文庫が出版された詩集『ベージュ』だ。谷川さんが“米寿”の時に単行本を出したからだとか。遊び心がすてき。さらに文庫の表紙には、とてもかわいらしい白い子うさぎがいて、こちらは谷川さんがそばに置いていたお気に入りのぬいぐるみがモデルなのだそう。谷川さんにとってもきっと思い入れのある一冊に収録されているのは、19歳から88歳までにつづられた珠玉の詩31篇――。谷川さんの人柄や体温、大袈裟かもしれないが、人生の一片を受け取ることのできる本になっているのだ。 谷川さんの詩には、言葉が、文字が美しく佇んでいる。言葉はシンプルでありながら語感がよくて、だから声に出して読みたくもなるのだけど、こうして本を開いてみると、目で見ても楽しい。「あとがき」にも書かれているが、表記を漢字にするか、ひらがなにするか、意識して選んでおらず、本能的に選択されて、表現の一つとして使っている。 〈文字も自然から生まれた植物の一種ではないか、ふとそんな思いが心をよぎる〉。「この午後」で、本か何かを開いてそこにある明朝活字を見ての一節。文字に対する感覚、感受性が研ぎ澄まされていくと、このように感じるのだなとハッとさせられた。冒頭の対談での言葉とも通ずる部分もある。文字という植物が、時の経過や経験などから土のなかへと根をはっていき、知識やアイディアなどの養分を吸い上げて、言葉の花を咲かせていく。そんなふうに捉えることもできて、読者であるわたしたちの原始的なところに響いてくるワケが少しわかったような気がした。
先の「詩人の死」で、死を〈人間をやめただけ〉と表現している。 谷川さんは人間をやめて、何になったのだろう。どこへ行かれたのだろう。もしかしたら、みんなの土壌になっているのではないだろうか。そのくらいに谷川さんの言葉はいつでもそばにあって、寄り添ってくれて、元気を与えてくれる。 だからわたしはこれからも、谷川さんの言葉にいのちの力をもらって、〈生きているということ/いま生きているということ〉をたしかめていきたい。
新潮社