真っ暗闇の被災地に、全壊した書店の看板だけ明かりがついていた…なぜ? 83歳店主が込めた、ある決意 「がれきの下に今も1万冊が埋もれている」
電灯もついていない真っ暗な商店街の一角に、こうこうと照らされた看板があった。近づいて見えたのは「いろは書店」の文字。建物は、わずかに原形をとどめる正面も斜めに大きく傾き、一部にブルーシートがかけられていた。それなのになぜ明かりをつけているのか―。 【写真】「せめて遺族に生前のほほ笑みを」犠牲者300人を復元した「おくりびと」は、仕事を投げ打って能登へ向かった ボランティアが示す「覚悟」
2月中旬のある日、私は石川県珠洲市にいた。能登半島地震で大きな被害が出た地域だ。市街地では、倒壊家屋のがれきが至る所に散乱していた。取材を終えた夜、仮設トイレを借りようと市役所に向かう途中、目に飛び込んできたのが看板だった。「きっと理由があるに違いない」。気になって翌日、店の連絡先に取材依頼のメールを送ると、ほどなく返事が来た。会って話を聞いたのは83歳の店主・八木久さん。ほがらかな語り口と優しい笑顔に隠された、強い決意がそこには込められていた。(共同通信記者・森脇江介) ▽間一髪で脱出した直後から 店主の長男・淳成さん(50)からの返事には、このように記されていた。「都合の良い時間帯などがありましたら、ご連絡下さい」。地震で大変な時なのに、丁寧に応じてもらえるありがたさが身に染みた。数日後、店の前で落ち合う形でお願いした。 石川県珠洲市役所近くにあるいろは書店は1949年の創業。店を切り盛りするのは今も現役の久さん。漫画や文庫本に加え、地元の高校生向けに教科書も販売する、地域にとってインフラのような存在だ。ブルーシートがかけられた店の前にパイプ椅子を並べる形で話を聞かせてもらうことになった。
久さんはまず、地震についてこんなふうに振り返った。「これまでの地震では大丈夫だったので、店が壊れて驚いた」。発生時は店の奥で作業をしていた。建物はその付近だけが持ちこたえたため、間一髪で脱出できた。津波を警戒して、その日の夜は市役所に泊まった。そう話す久さんの表情に悲壮感はなく、こうも続けた。「3月になったら高校生に教科書を売らないといけないし、地震翌日には再建すると決めていた」。常連客が差し入れてくれた近所のカフェのコーヒーを手に、笑顔を見せた。 ▽渋々始めて、気付けばのめり込んでいた 書店業は必ずしもやりたいと思って始めたのではないのだという。「大学を出る直前の1962年に母が亡くなり、創業した父に継いでほしいと言われて」。就職も決まっていたが、渋々、ふるさとの能登に帰ってきた。 書店は当時、外商と呼ばれる訪問販売から店頭での販売にシフトしていた時期だった。「本がよく売れた時代だった。売り上げの記録で出版社から表彰されたこともある」。仕方なく始めたはずなのに、のめり込んでいった。