《ブラジル》10年後の日本祭りはどんな姿か? 問われる県人会の今後と母県の理解
本橋さんは「鳥取ブースの大仙おこわを作るために、婦人部は朝3時に県人会館に集まって作業を始めます。その日に作らないと御飯がおいしくない、朝10時にこの会場へ届けるためにはそうしないと間に合わない。前の晩は夜9時までブースで販売や片づけをしている人もいる。それをボランティアとしてやってくれる人はどんどん減っています」と切実な事情を訴えた。 「鳥取の傘踊りは現在ではいろいろなイベントで見られるようになり、ブラジルでかなり有名になりました。でも踊っているのはほとんど県とは関係のない皆さんなんです。指導者だった京野マリさんしかり。でも一生懸命に踊ってくれている皆さんがいるから『鳥取の傘踊り』として有名になってきたんです」と県人会と県文化普及の関係の具体例を挙げた。 せっかく世界最大級に育った県連日本祭りを後世に残すためには、県人会組織が再活性化することが不可欠であり、それには各県民や県庁の理解がとても大事だ。仏パリにも日本祭りはあるが、日本政府のテコ入れは半端ではないと聞く。それに比べれば、ブラジルの日本祭りはむしろブラジル連邦政府、サンパウロ州政府、サンパウロ市、ブラジル企業など地元からの巨額支援を受けて実現されている側面が強い。 県人会が継続するには日々の活動の積み重ねが重要であり、若者たちに何を任せて何を託すのかが要だ。日本祭りの継続もそこにかかっている。(深)