完全な「善人」も「悪人」も登場しなかった『源氏物語』。紫式部が源氏の言葉に込めた<現実社会を見直すためのヒント>とは
◆源氏の物語論 源氏はさらに、「『日本書紀』のような国史にも、昔からのことが書かれていますが、一面的にすぎません。物語にこそ道理にかなった出来事の成り立ちが書かれているのです」と、物語は歴史書を超えるものだと言います。 この言葉は、とても大胆なものといえます。本当ではないことを語ることによって、逆に人生の真実を語ることができると言っているからです。 ついで「経文が説いている、悟りと迷いとのへだたりも、物語に登場する善人と悪人とのへだたりのようなものです」と、物語と仏典とを、同等に扱ってしまいます。 当時の一般的な物語に登場する人物は、善人は善人、悪人は悪人として、型どおりに語られていたからこそ言えた、たとえ話だといえます。
◆源氏の言葉に隠されたヒント けれども振り返ってみれば、『源氏物語』には、完全な善人も、完全な悪人も登場していません。 多くの人たちが、迷いと悟りの間を行きつ戻りつしながら、思案しているようです。 源氏の言う、「菩提と煩悩とのへだたり」と、当時の一般的な物語に登場する人物たちが似ているという言いまわしは、じつは現実の人間の複雑さを見直すための、ひとつのヒントだったのかもしれません。 賢い玉鬘のことですから、こうした源氏の真意に、きっと気がついたことでしょう。 ※本稿は、『美しい原文で読む-源氏物語の恋のことば100』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
松井健児
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