「何でも反対」イメージで蓮舫氏は2位にもなれず リーダーにとって「ノーは切り札」でなければならない
実際には過去の都知事選において、多くの当選者が何らかの「ノー」を訴えてきたのは事実。青島幸男氏は「世界都市博」に「ノー」を突き付けた。都政そのものではないが、石原慎太郎元都知事は、アメリカに「ノー」を言える人物として人気を博した。要は、ノーが説得力を持ち、共感を得ると大きな風が吹くということだろうか。 「そういう面はあると思います。特に日本は、マスコミに象徴されるように、ゆがんだ批判社会という面があるように感じます。イエスを認めあうより、ノーを突きつけたほうが得をする社会構造と言ってもよいでしょう。そうなると誰もリスクを取ろうとしなくなります。“何でも反対”というイメージで蓮舫さんが失速したのは、そんな息苦しい閉塞感に対する有権者の拒否反応であったのかもしれません」 少なくとも「ノーと言える自分」に酔っているような人が人望を得ないというのは、政治でも組織でも共通してそうだ。「イエスで人をコントロール」できるような人物、つまり肯定的な言葉で人心を動かせるような政治家が現れれば、歴史に名を残すような存在となるのかもしれない。
デイリー新潮編集部
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