『地球上の中華料理店をめぐる冒険』の著者が40年前に足繁く通った東京の中華料理店を再訪して知った「3代目」の物語
『地球上の中華料理店をめぐる冒険』の著者チョック・クワンは、1980年代に東京で働いていた。クワンはその当時に足繁く通った中華料理店をコロナ禍明けに再訪し、また別の街の中華料理店にも入り、この40年間の変化をしみじみと味わうことになる──。 【動画】チョック・クワン監督が地球上の中華料理店を巡って撮ったドキュメンタリーシリーズ『Chinese Restaurants』 ※本記事は、関卓中『地球上の中華料理店をめぐる冒険』の抜粋です。
「3代目」の物語
私は80年代に東京勤務を経験している。当時は経済自由化の真っ只中にあり、勤務先のエンジニアリング・建設会社でたびたび耳にした国際化が進展していた時代でもある。 2023年の訪日時、とても暑い晴れた日、かつて頻繁に訪れていたお気に入りのレストラン2軒を訪ねることにした。 まず1軒目は、テレビ番組『料理の鉄人』の出演で人気を集めた陳建一の店、赤坂の「四川飯店」だ。その日オーダーしたのは、麻婆豆腐と辣子鶏丁(素揚げした鶏肉を四川特産の香辛料などで炒めた料理)である。 陳建一の父、陳建民は四川省出身。1952年に来日し、初の四川料理店をオープンさせた。数年後に東京オリンピック(1964年)を控えていたころの話である。辛い料理はそれほど人気がないとされていた国で、四川料理を広めたのが、陳建民の功績だ。 その代表格が四川料理の麻婆豆腐である。中華料理の定番メニューになるほど普及していることはご存じのとおりだ。 私が赤坂の店を訪れる半年前の2023年3月、息子の陳建一はこの世を去っていた。政界関連のビルが立ち並ぶ永田町から歩いてすぐのオフィスビルの5階・6階に店はある。30年以上にわたって店を切り盛りし、国内外で「中国料理の鉄人」として名を馳せた男である。今、その息子である3代目の陳建太郎が継いでいる。 3代目の物語がもう1つある。 赤坂で食事を終えてすでに満腹状態にもかかわらず、中華軽食を求めて、昔よく通った西麻布界隈を歩き回っていると、懐かしい店構えが目の前に現れた。伝統的な中国庭園によく見られる「月亮門」を模した円形の入り口が特徴的で、創業50年になる「北海園」である。 日本で最初に北京料理を出したのがこの店で、自慢料理は人気の豆漿(豆乳)と油條(訳注:チュロスのような細長い揚げパン)だ。 店内の装飾は昔のままだ。お気に入りの円形ソファー席を陣取ったまではよかったが、メニューに豆漿が見当たらない。すると、台湾出身の支配人である許(シュウ)から、もう豆漿は提供していないと聞かされた。客からの注文がないのだという。 6年前に元のオーナーから店を譲り受けたのだが、私のような愛着のある客のことを考えて、店の装飾はそのまま残しているそうだ。そこで、煎鍋貼(焼き餃子)を注文した。
Cheuk Kwan