「伊藤潤二展 誘惑」(世田谷文学館)開幕レポート。不安と怖いもの見たさが同居する展示体験を
東京都世田谷区の世田谷文学館で、マンガ家・伊藤潤二(1963~)による初の大規模個展「伊藤潤二展 誘惑」がスタートした。会期は9月1日まで。 伊藤は、歯科技工士として勤務する傍ら、雑誌「月刊ハロウィン」に初投稿した『富江』が「楳図賞」にて佳作を受賞しデビュー。以来、『首吊り気球』『死びとの恋わずらい』『うずまき』ほかを発表してきた。2019年『フランケンシュタイン』ではアイズナー賞「最優秀コミカライズ作品賞」を受賞し、21年『地獄星レミナ』にて「最優秀アジア作品賞」、『伊藤潤二短編集 BEST OF BEST』が「Best Writer / Artist部門」を同時受賞、22年『死びとの恋わずらい』にて通算4度目の同賞受賞。23年、アングレーム国際漫画祭にて「特別栄誉賞」受賞。そのほかも数多くの受賞を経験し、国内外問わず読者から絶大な支持を得ている。 開幕に先立ち、伊藤はこの大回顧展について次のように語った。「37、8年の時間をかけて丁寧にマンガを描いてきたが、振り返ってみればあっという間。どれも思い入れのある作品だ。素晴らしい会場をつくっていただいたし、造形作家・藤本圭紀さんとコラボレーションして生まれた『富江』フィギュアもぜひ見てほしい。9月までの会期なので、多くの方に来ていただけたら」。 会場は序章を含めた全5章立てとなっており、マンガ原稿やイラスト(本展描き下ろし新作3点を含む)、挿絵・下絵、書籍、資料などが合わせて約600点も展示されるといった大ボリュームの展覧会だ。 数ある伊藤の作品のなかでも知名度が高いのは、デビュー作であり最近ではTikTokでも人気となっている『富江』だろう。「第1章 美醜」では「富江」シリーズをはじめとした、美しさと醜さをテーマとした作品群が紹介されている。 第2章では、『うずまき』や『首吊り気球』などといった代表作から「日常に潜む恐怖」をテーマに作品を展示している。マンガの着想は至る所にあり、「日常生活の違和感や不思議なこと」をメモしているという伊藤ならではの世界観と言えるだろう。日常と非日常の境目は一体どこから生まれるのか、不安と怖いもの見たさが同居する不思議な感覚とともに歩みを進めていく。 「第3章 怪画」では、伊藤作品の魅力のひとつでもある、美しくも怪しいカラー作品や扉絵に注目する。肌の質感や髪の毛一本一本まで丁寧に描かれた繊細な表現をぜひ間近でじっくりと見てほしい。カラー原画が展示されているのも貴重な機会だ。 ここまで数多くの作品を鑑賞してひとつ疑問となるのが「伊藤潤二はいったいどのような人物なのか」ということだ。最後の第4章では、その素顔にせまるような作品や資料が紹介されている。自身の愛猫を描いた『伊藤潤二の猫日記 よん&むー』では、猫を前にした伊藤のコミカルな様子が描かれているものの、その画風からかどこか不安な気持ちになってしまう。 また、伊藤が学生の頃に描いたマンガのラフや、「趣味の部屋」と称された座敷スペースには、伊藤の子供の頃の私物が設置されている。 ほかにも、会場出口付近には『うずまき』を題材とした参加型メディアアートも登場。自身の身体でぜひ「うずまき」の表現にチャレンジしてみてほしい。 ちなみに、Netflixでは23年1月より伊藤潤二による代表作をオリジナルアニメ化した『マニアック』が配信されている。『富江』『首吊り気球』『双一』など本展で数多く紹介されている作品を一気に見ることができるため、予習(復習)をしてから足を運ぶのも面白いだろう。
文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)